雪の残り【68(最終)】


 

 孝樹君は、軽く首を回すと、

 

「だから、今は水泳と勉強とに全力を尽くす。何と言えばいいか分からないけれど、とりあえず日本一の高校生を目指してみるよ。せめて沙耶香先輩に、自慢の後輩として、心の中に置いておいてもらえるように、さ」

 

 孝樹君はじゃあな、と手を振ってその場を離れようとして、「あ!」と声を上げた。

 

「そうだ。用があってお前たちのことを探していたのに忘れていた」

 

 胸ポケットから手帳を取り出して、開いたページに視線を落として何かを確かめると、

 

「準が2つも付くような結果で悪いけれど、沙耶香先輩が、祝勝会をしてくれることになってな。明後日の夕方からなんだが。体は空いているか?」

 

「空いてるけれど……誘ってくれているのか?」

 

「俺が通っている合気道の道場の先輩とかが、盛大にしてくれるって言ってくれているからさ。……可愛い子が結構いるから紹介してやるよ」

 

 純一君がごくっと唾を呑んだのが分かった。なんだろう? このがっかり感。さっきまでちょっと格好いいなとか思っていたのに。

 

「残雪も来るだろ? 御馳走もたっぷり出るぞ。肉と魚はどっちがいい?」

 

 御馳走と聞いて私も思わずごくっと唾を飲み込んだ。「うにゃーん」と私は一声鳴いた。肉も魚も大好物だと、言葉を発さなくても分かってもらえるだろうと思った。孝樹君は私の顔を両手で挟んで、くしゃくしゃっとすると、「じゃ……詳しいことは追って連絡する」と言って、その場を去って行った。

 

*     *     *

 

「高校生の日本一……か」

 

 相変わらず窓からずっと外を見続けている純一君が呟いたのが聞こえた。私はそれを聞いて、おや? と思った。孝樹君は今、『日本一の高校生』と言ったのだ。言葉を入れ替えたにすぎないかもしれないが、この2つの言葉が意味するところは、全く違うことのように思える。

 

 言葉ってやっぱり難しいなぁ……と思うと同時に、人の気持ちもままならないものだと考える。複雑に張り巡らされた好意の線は、結局未だどこにも結び付いていなかったのだから。

 

「藤崎が入院してから、太陽観測も止めてしまっていたな。結局、小学生の日記と同じで、一か月も続かなかった。名城は、今からずっと、ずっと先のことを見据えている。凄いよ……あいつは」

 

 この言葉は、私に言ったのだろうか? 神ならぬ私には、1年も先の私のことも、純一君のことも孝樹君のことも、もちろん若葉さんのことだって愛莉さんのことだって分かるはずがない。こうなって欲しいという漠然とした希望はあっても、そうなるという保証はなく、ただ、暗闇の中にある明日を、未来を、ただ待っているのみである。

 

 彼らと付き合い始めて分かったことの1つは、人間は将来とか未来とかいうものをとても大切に考えるものらしい、ということだ。将来の成功を目指し、努力し、願う。私には、そういった感覚は未だに理解しえないものでもある。日々というものを今日の連続としか考えられない私とは、何かが根本的に違うのだ。

 

 人間はそれを、可能性という言葉で表す。未来は未知であるが故に、あらゆる可能性がある。その可能性に期待し、その可能性を掴むために努力をする。目の前に広がるのは連続する今日のはずなのに、人は昨日に後悔を残し、明日に希望を見出す。

 

 それは何故なのだろうか……。

 

 そんなことを考えていると、私の腹の虫が盛大に鳴った。明後日は御馳走が食べられるにしても、今日の空腹をまず解消しなければ。そんなことを考えた瞬間、私は、びびっ!  と頭の中を電流が走ったような気がした。自分が何かを大発見したような気分になった。

 

 それを、未だに独りで何か考え事をしている純一君に伝えようとして止めた。それはきっと人間なら誰でもわかっていることだろうと思うから。

 

 私は、明後日に何が起こるか、ちょっとだけ知っている。私にとっては、ずっと先のことなのに。そして、その時を心待ちにしている。

 

 彼らにしてもきっとそう。不確定ながら、未来に何かがあると知っているからこそ、進んでいけるんだ。進んでいるんだ。ただ漠然と明日を待っているわけではないんだ。

 

 そう、そうなんだ。

 

 “未来”っていうのは“楽しみ”ってことなんだ。

 

〈fin〉

 

 

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