雪の残り【67】


 

 今、純一君には、空か、いつも私が昼寝している緑豊かな中庭が見えているはずだ。その景色は今、彼の眼にはどう映っているのだろう。心の中が違えば、目の前に広がる景色も違って見えるというのも、ここ1ヶ月の出来事を通じて知ったことだ。

 

「この間、病院からの帰りに、陽村さんから貰ったんだ。残雪の口の中にあったっていうメモをさ」

 

 私はちょっと口を開いて、あの時の感触を思い出した。あれは何だったのか……などという疑問は、すっかり失念していた。

 

「……あれはさ、名城の携帯の電話番号だったんだ。陽村さんが言うには、一度、水に濡れて乾いた跡があったって。ひょっとしたら、用水池で若葉が必死にハンドバッグを取ろうとしていたのはこれが入っていたからじゃないか……って言われたよ」

 

 それは愛莉さんがそう思っただけで、事実とは違うのかもしれない。でも私も愛莉さんと同じことを考えたのも事実だった。違ったのは、見せるべきではないと考え隠そうとした私と、事実を純一君に突き付ける方を選んだ愛莉さん。

 

 どちらが正しかったのか……。

 

 純一君は、教えてもらってよかったのか、それとも、やはり教えない方が良かったのか。聞いてみようかと思ったけれど聞けなかった。別に、純一君の気持ちを慮ったなどというわけではなく、人が歩いてきた気配がしたので、口を開くのを止めたのだ。でも、それは無用な心配だった。やってきたのは、私が喋ることができることを知っている、もう1人の人だったから。

 

「校舎内であんまり大声を上げていると、気付かれるぞ」

 

「……よう、準準優勝」

 

「その言い方はよせよ」

 

 思いっきり嫌みを込めて声をかけた純一君に、孝樹君は不快そうに返す。それから、純一君の隣に立って、窓枠に手をついて、純一君と同じように外を眺めた。

 

「この間は、連絡してくれてありがとう。一応例を言っておく」

 

「若葉の見舞に戻ってこなければ、100mか200mか……どっちかでも優勝で来たんじゃないか?」

 

「100mも200mも3位。それが俺の今の実力で結果だよ。それに、俺には、来年雪辱を果たすチャンスはあるからな。今年の優勝者と準優勝者が全員3年生だから、大学に行ったらばっちりリベンジしてやるさ」

 

 3位というのは、いい成績なのか悪い方なのか……。今度、数の数え方を聞いておこう。

 

 さっきの若葉さんの物言いでは、そんなにいい成績というわけじゃなかったのだろうけれど。

 

「さっき、若葉に会った。優勝できなかったのは自分のせいだと思っているみたいだった」

 

「やっぱり、あの馬鹿、そんなことを言っていたか……」

 

 孝樹君は、純一君と並んで空を見上げる。

 

「俺……好きな人がいるんだ」

 

 孝樹君がいきなり言いだした。

 

「は? え? ええ!!」

 

 動揺しすぎだよ。純一君。

 

「そそそそ……それって、僕が知っている子なのか」

 

「ああ。お前も知っている人だよ」

 

 なんだろう……2人の会話のニュアンスに、微妙な違いを感じた。

 

 私は純一君をつたって窓枠にぴょんと飛び乗ると、男子生徒2人が並ぶ間にちょこんと陣取って、一緒に中庭を眺めた。

 

 私を間に挟んで、話は続く。

 

「その人が、もしも自分以外の人のことを見ているとしたらどうする?」

 

 純一君の脳裏に走ったのは、多分若葉さんの顔だろう。

 

「それでも、その子のことを僕は好きだから。僕はずっと見ているし、好きになってもらえるように、頑張ってみるよ……」

 

 せっかくの格好いい台詞を尻すぼみにしては様にならないよ。

 

「一歩間違えたら、ストーカーだな」

 

「うるさいな。スト―キングと、男の積極性は紙一重なんだよ!」

 

「でも、その人が自分より7歳も年上で、しかも先日、結婚式を挙げたばかりだったら? 好きだから、何をしても赦される? そんなのは、小説や漫画やドラマや映画や……とにかく、フィクションの中だけなんだよ」

 

「お前……それひょっとして……」

 

 ひょっとしなくても、該当しそうな人は1人しかいない。

 

「前々から、そういう相手がいるって知ってはいたんだけれどな。実際に結婚するって知ったらどうにも抑えられなくて、若葉にも八つ当たりしてしまった……お前が言う通り、小さい男だよ、俺は」

 

 

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