雪の残り【62】


 

「まず正面玄関は開いていないでしょうから、裏の守衛のところに行って、今日運ばれた患者の姉だと言って通してもらいなさい」

 

 沙耶香さんの口調はさらりとしたものだったけれど、内容はひょっとしてかなり問題がある台詞ではなかっただろうか? ウソついて、怒られたりしないのかな?

 

 ……それに、この中に、私は入ってもいいのだろうか? 普段、学校の中をさも当たり前の顔をして歩いているくせして、こんな時は妙に心配になってしまう。

 

 愛莉さんは私が入ったバスケットを抱えて車を降りたので、一緒に入るつもりのようだった。

 

 しかし、それらの心配は、裏に回ると薄暗い出入り口の脇に見つけた、バスケットの隙間から見えた人影が杞憂だと教えてくれた。私の人よりもはるかに暗闇を見通せる目が、そこに立っている人影が純一君だと気付かせてくれた。

 

 しかし、愛莉さんの目には、それが人影だと気付いても、誰かまでは分からなかったようで、足を止めた。びくっと身を引きつらせたのが、バスケットの中が揺れたことで分かった。

 

「陽村さん?」

 

 純一君も愛莉さんに気付いて、躊躇≪ためら≫いながら声をかけてきた。

 

「君か……」

 

 愛莉さんの声には、心なしか胸をなでおろしたような響きが含まれていた。

 

「残雪を回収してきたよ」

 

「ありがとう。助かったよ」

 

 愛莉さんがバスケット持ち上げ、純一君がバスケットを受け取ったのが分かった。

 

「……急に、家に電話してきたときは驚いたよ」

 

「申し訳ない。病院の公衆電話の電話帳を探したら一軒だけ『陽村』ってあったから試しにかけてみたんだけれどあっててよかったよ。」

 

「よくないわよ。……アンタ、お姉ちゃんのことを、私と勘違いして話していたらしいじゃない」

 

「あぅ……ごめん……」

 

「まぁ、いいけれどね。どーでも」

 

 彼女にしては珍しく随分投げやりに放った「どーでも」が、愛莉さんのお姉さんへの複雑な心情を表しているような気がした。2人も、単に仲のいい姉妹というわけでもないのかもしれない。

 

 愛莉さんは、それ以上お姉さんのことには触れずに、話を本題に進めた。

 

「藤崎さんの状態は? 毒蛇に噛まれたって聞いたけれど?」

 

「血清は届いた。状態は安定しているみたいだ」

 

「そう……」

 

「藤崎のご両親とは、なかなか連絡がつかなくて。今、みえられたところ」

 

「そう……」

 

「僕はいつまでもいない方がいいと思って出てきた」

 

「堂々と言えば良かったのに。僕は、若葉さんの彼氏ですって」

 

「僕には言う資格がないよ……」

 

 純一君は右手で拳を作り、開いた左手にばんっと叩きつけた。

 

「あんた……ひょっとして、後悔している?」

 

「するだろっ! 普通はっ!」

 

  怒鳴ろうとしたはずだけれど、声がうまく出なかったのか、呻くような声になった。純一君は、両手をぐっと握ると、その両拳を額にもっていった。

 

「僕がしっかりしなければいけなかったんだ。元気そうだったから油断してたんだ。ちゃんと医者に診せていれば……」

 

「終わったことを悔いても仕方ないよ。それに、藤崎さんを助けたのは間違いなく君だよ」

 

「それだって……」

 

 純一君はいかにも声を絞り出すといった感じだった。

 

「名城に言われて藤崎の家に行って、救急車だって警官に呼んでもらって。僕は何もしてない。僕が行っても何の役にも立てなかった。名城だったら間違いなく病院で診察してもらうように勧めたはずだ。藤崎が倒れた時だって、あの場にいたのが名城だったら、もっとうまく立ち回ったはずだよ」

 

「ついでに言えば……」

 

 純一君の言葉が途切れた瞬間に、愛莉さんが口を挟んだ。

 

「藤崎さんは、君に言われても医者に行こうとはしなかっただろうけれど、名城君に言われたら素直に従っていたでしょうね。……藤崎さんは、きっと」

 

 

 先日、プールで愛莉さんが言っていたことを思い出した。若葉さんにとって、孝樹君は年の離れた兄のような存在だったと。若葉さんにとっての孝樹君は、何より信頼できる人だったのだろう。そして、それは過去形ではなく、きっと“現在においても”そうなのだ。

 

 

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