雪の残り【60】


 

 純一君を連れて出てきた巡査さんに、お婆さんは、「喋る猫は見つかったかい?」と勢い込んで尋ねた。しかし、その時私はすぐに部屋の窓から外に出たので警察官は私の存在に気付いていなかったし、よしんば気付いていたとしても、私が話すことができるなんて考えもしなかっただろう。

 

 面倒くさそうに、「そんなの、いるわけがないでしょう」と返した巡査さんに、さらに食ってかかるお婆さんを見つめる周囲の目は、あからさまな憐みだった。露骨に「そろそろボケてきたか」などと言う、口の悪い人もいたので、お婆さんは、絶対に見つけ出して証明してやると息巻いて私を探しまわっていたが、私の方がかくれんぼに関しては一枚も二枚も上手なのだ。何時間も経つと、お婆さんも諦めて帰って行った。

 

 最後に純一君に言われたとおり、若葉さんの家の敷地から出ないようにしながら思案する。

 

 さて、これからどうしようか。

 

 創成学園への道順は分からない。首輪――鑑札が付けられているから、誰かが連絡してくれるかもしれないと思いつつも、さっきのお婆さんに見つかったり先日のように酷い目にあわせられたらと思うと、人間を素直に信用していいのかなどと普段なら考えたこともないような不安が頭をよぎった。 

 

 それでも、日が頭上にあるうちはよかったが、やがて辺りは夕から夜へ変わる時間を迎え、言いようのない不安が私に襲ってくる。今日はもう誰も迎えに来てくれないかもしれない。このまま、外で野良猫になってしまうのかもしれない。普段は飼い猫よりも自由な野良猫が一番なんて気取ってみたところで、結局は安全な場所にいるから言えることなんだと初めて実感した。

 

 心細くて、心細くて、どうしようもなくなった時、聞き覚えのある女の人の声が聞こえた。

 

「……よかった。どこにも行ってなかったね」

 

 若葉さんの家の前だったけれど、若葉さんの声ではなかった。一旦私の顎の下に軽く触れ、それから頭を撫でてくれる細くて長い指。その指が私の脇の下にすっと入れられた。一瞬の浮遊感の後、私は華奢だけど安心できる2本の腕の中にすっぽりと収まっていた。

 

 私は、ここでようやく顔を上げると、真正面の鼻先数センチほどの位置で、愛莉さんが私ににこりと笑いかけた。

 

「探し物は見つかった?」

 

 別の人の声が聞こえてきた。そちらの声の方に目をやると、すぐ近くにあずき色の自動車が停まっているのが分かった。いや、実際には暗かったからそう見えただけで、赤系の色だったのかもしれない。

 

 それはさておき、その運転席の窓から首を出している女の人が愛莉さんに声をかけてきたのだった。

 

「あ。うん。お姉ちゃん。ちょっと待ってて」

 

 愛莉さんは、若葉さんの家の前に置きっぱなしになっている純一君の自転車の前籠からバスケットを取って、その中に私を入れると自動車の助手的に滑り込んだ。

 

「どこに行けばいい?」

 

 愛莉さんに“お姉ちゃん”と呼ばれた運転手の女性が愛莉さんに尋ねた。さすがに肉親だと私は思った。彼女が口を開いた瞬間、バスケットに入った私を抱えている愛莉さんが話したものだと、錯覚したから。

 

 似ているのは声だけではなかった。愛莉さんと同じような白い肌。髪は今の愛莉さんと同じように黒髪のストレートを肩の辺りまでで揃えている。なるほど、よく似ていると思ったけれど、年上らしく見た目は愛莉さんよりも少し大人びた印象を受けた。

 

「市民病院に行って」

 

 愛莉さんが、運転手のお姉さん――沙耶香さんという名前だということは後から聞いた――に言うと、

 

「市民病院は国道を東に……」

 

 沙耶香さんは、あの道からこう回って、と口の中で呟いて、道順を確かめるような仕草をしてから自動車を発進させた。

 

「あのさ……」

 

 

 沙耶香さんは車を発進させてしばらくしてから言った。

 

 

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