雪の残り【51】


 

 純一君が近づいて若葉さんに声をかけたけれど、まだ息が上がっており、返事をしようとしたけれど掠れたヒューヒューという感じの言葉にならない声が出ただけだった。

 

 愛莉さんも、同じように「大丈夫?」と若葉さんに尋ね、若葉さんが声に出した返事はまだできないまでも大きく2回首を縦に振ったのを確かめてから、少年のほうに向いた。耳の辺りで髪を切りそろえた可愛らしい子供だった。びしょびしょのTシャツとショートパンツから雫を垂れ下がらせながらわんわんと泣いている。

 

 その少年に「何やってるのよっ! 君はっ!」と、愛莉さんが怒号を轟かせた。

 

「あの看板が見えなかったのっ! 何のために『入るな』って書いてて、フェンスまで張っているのかわからないのっ!」

 

 さらに声のトーンを上げて泣き出した少年にさらに詰め寄ろうとする愛莉さんを若葉さんが羽交い絞めにした。まだ回復していないはずなのに、反応は純一君よりも早い。

 

「落ち着いてー! 愛莉さん。落ち着いてー!」

 

 おそらくは、こう言っているのだろう。はっきりした言葉にはなっていないまでも、行動と口の動きで何となく言っているのが分かる。

 

 純一君はといえば、呆気にとられた感じでその様子を見ているだけだ。

 

「ええい! 最後まで言わせなさい。大体、一番酷い目にあったのはアナタでしょうが!」

 

 私と純一君はしゃがみ込んで泣き喚く少年と、言い争う2人の女子高生を眺めていた。こうなったらもう、爆発したエネルギーがなくなるまで待つしかないと言った感じだ。

 

 愛莉さんを後ろから両手で締め付けていた若葉さんは、少年に、

 

「君はもういいから早く行きなさい!」

 

 と少年に促した。言っていることは分からなかったかもしれないけれど、目線と払うような顔のしぐさで言いたいことは分かったようだった。少年は、怯えながらコクコクとうなずいて、フェンスをよじ登り、駆けていった。

 

「あれなら大丈夫そうね」

 

 少年がフェンスの向こう側に消えていくのを見送ってほっとしたように若葉さんが呟き、愛莉さんから手を放した。若葉さんの声がまた全快ではなさそうだったけれど、ちゃんと聞きとれる程度には回復したようだった。

 

「まったく……。まぁ、あなたには前科があるから、あまり責められないのはわかるけれど……」

 

「前科って……? 陽村さん……あなた……あなた……」

 

 何かに気づいて、声が上ずる。愛莉さんはそれを見てぺろりと舌を出した。「しまった」という感情が前面に出た、悪戯を見つかってしまった子供のような反応に見えた。

 

 その様子を見て私にも思い当ることがあった。そう、若葉さんが疑問を覚えたとしても不思議はない。本当ならば若葉さんの昔の事故の話を愛莉さんは知らないはずなのだから。今の愛莉さんの反応は自分が口を滑らせてしまったことに気付いた故のものだと思った。

 

「陽村さん! いたの?」

 

 若葉さんは気付いていなかった。

 

「何のギャグよ!」

 

 愛莉さんはツッコミを入れる。その間合いといい、声の張り方といい、その掛け合いに、私は吹き出しそうになり口を抑える。若葉さん本人はボケたつもりはなかっただろうけれど。

 

「え……っと。でも、本当にどうしてこんなところにいるの」

 

「……名城君に感謝なさい」

 

 今のツッコミのせいで説明するのがよほど面倒くさくなったのだろう。さっき、愛莉さんから簡単に説明された純一君と横で聞いていた私以外には分からない返答をした。

 

「はぁ……」

 

 さっぱり分からないといったふうに小首を傾げる若葉さんを見ながら、しかめっ面をしていた愛莉さんはふっと相好を崩し、あははっと笑い始めた。愛莉さんは、さっき命綱にした自分のショートジャケットを若葉さんに投げて渡す。

 

 

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