* * *
「馬鹿だね……私は」
私は、取り残された若葉さんの頭上で、じっと息を潜めて聞いていた。
聞いているだけで何もできない自分がもどかしくなった。純一君は、こんな思いを何度も味わったんだろうか? 考えれば考えるほど、憂鬱になってくる。最後は、当事者がどうにかしなければならない話で、結局私は傍観者にすぎないことは分かっていても、どうしても考えてしまうのだ。
「赦されることばかりを考えて、赦すことを考えもしなかった」
若葉さんの呟きは、もちろん私に向けられたものではないけれど、私は何故か自分に向けられたような気がした。もちろん気のせいに過ぎない。彼女はさっさと私に背を向けて中庭を立ち去ってしまったのだから。
でも……。不思議と若葉さんの後ろ姿からは、笑っているような、さばさばしているような……そんな心証を受け取っていた。
* * *
ついさっき眼前で展開されていた女の戦いのことを思い出しつつ、私は正面で楽しそうに話している純一君を私は眺めていた。眺めていたけれど、私の眼の中に、彼の姿は入っていなかった。
若葉さんも、愛莉さんも、純一君も、誰も傷つかずに落ち着くべきところに落ち着いてほしい。収まるべきところに収まってほしい。ぼんやりとそんなことを考えていた。
そんなことを考えていると、今度は無性に腹が立ってきた。孝樹君に対してだ。孝樹君がほんのちょっと大人になっていれば、若葉さんが罪悪感に苛≪さいな≫まれることもなかっただろうし、愛莉さんだってもっと素直に自分の気持ちを伝えられたのかもしれない。
私は孝樹君に一言、言ってやらねばと思って、純一君が話しているのを放っておいて立ち上がった。
* * *
いつだったか、純一君と一緒に孝樹君の応援をしに屋内プールに来たことを思い出した。泳いでいる孝樹君を見たのは2階からだった。孝樹君を激励に行ったのは渡り廊下でのことだった。
渡り廊下での時に、愛莉さんと孝樹君が険悪な雰囲気になったことはもちろん覚えている。でも、それは、愛莉さんの恋心の裏返しから来たもので……。あえて憎まれ役を買って出た彼女の気持ちは、正直なところ今でも私には理解できない。
ふと私は思う。私は一体誰の応援をしたいんだろう? 一体、誰に勝者になってほしいんだろう。それとも、物事を勝ち負けでしか考えられない私は、間違っているのだろうか? 結局、猫としての狭量な思考から、抜けられずにいるだけなんだろうか? 利口な人間は、もっと優れた解決策を用意するのだろうか?
「……でも」
私は、頭も悪くて愚かで要領も悪いかもしれない。それでもやはり、孝樹君の態度には歯がゆさを感じる。
私は、はて? と思った。じゃあ……私は、孝樹君になんて声をかけようとしているんだろう。
大人になれ、とか、いい加減に赦してやれ、などと言うのは簡単だろうけれど、それができないから孝樹君にしても苦労しているわけで……。
むしろ逆に、愛莉さんの気持ちに応えてあげて……と言っても、根本的な部分で問題が解消されるわけでもないわけで……。
と……とにかく、ビシッとだ。ビシッと! 私は渡り廊下を歩きながらそんなことを考えていた。
渡り廊下から一部屋抜けるとプールのある広い屋内水泳場に入ろうと……。困った、入れない。閉められたガラス戸を開けることができず、私はがりがりと引っ掻いた。
ここまで来ておいて帰るのも間が抜けているし、かといってこの横開きの戸を開く手段が見つけられず、どうしたものかと途方に暮れている私の後ろに近づいてくる人の気配があった。
「……さすがにこの中はニャーちゃんは立ち入り禁止だよ」
言いながら、プールへの扉を開けてくれたのは若葉さんだった。
何をしにこんなところに……? と、思わず口にしかけた。
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『雪の残り』の感想