雪の残り【33】


   

 ノートには、糊づけされた新聞記事の切り抜きが張り付けられていて、純一君は目を落として素早く文章を読んだ。そこには、事件のあらましが簡単に書かれていた。そんなに、大きな扱いをされた記事ではないらしく、文章量はさほど多くはなかった。

 

 純一君が読んだところによれば、立ち入り禁止にされている用水池に入り込んだ小学生が溺れ、さらに助けようとした小学生も次々に溺れた、という内容らしかった。付近に建設会社の資材置き場あり、そこで勤務していた人たちが救助に当たると同時に、警察と消防に通報して全員救助された……という。

 

「溺れた中に、名城や藤崎がいたのか?」

 

「一番最初に溺れたのが藤崎さんだったのよ。そして、名城君もその場にいた。記事には書かれていないけれど、その場にいたのは7人だったの」

 

「……って、それは」

 

 純一君は一言呟くと黙り込んで、愛莉さんの言葉の意味を推し量ろうとしているようだった。愛莉さんは、純一君が察するまで待つことにしたようで、先を続けなかった。

 

「つまり……溺れたのは7人だったのか?

 

 純一君が、しばらく考え込んだ末に出してきた答えを、愛莉さんは聞かなかったことにして話を進めた。

 

「名城君は溺れなかった。……いえ、飛び込まなかった。彼は、その場を逃げ出した」

 

「まさか! あいつが?」

 

「私は、名城君の行動を批判する気はないわよ。服を着たまま泳ぐのも、溺れている人間に泳いで近付いて助けるのも、とても無謀な行為だもの。幼いころから水泳を習っていた名城君は十分すぎるほどそのことを知っていた。実際、助けに飛び込んだ子供たちは全員巻き込まれて溺れてしまったし、大人たちに助けを求めたのも、警察や消防に通報したのも、名城君がやったのよ。むしろ、名城君まで巻き添えになっていたら、最悪の事態になっていたかもしれない。彼の行動は正しかったと思うわ。だけれど、実際に溺れた側からすれば、誰もそうは思わなかった。特に……小さいころからの幼馴染だった藤崎さんからしてみれば、なおさらだったみたい。藤崎さんは、名城君の謝罪を決して受け入れなかったそうよ。夏休みが明け、学校が始まると、それは名城君へのいじめになった。半年以上……6年生になってクラス替えが行われるまで、それは続いたらしいわ」

 

 愛莉さんは、できるだけ自分の感情を排除しつつ話そうと心掛けているように聞こえたけれど、時折、ふつっと感情が表に出そうになった。

 

「でも、それはもう5年も昔の話で。小学校の頃の話で……」

 

「……とは割り切れないんでしょうね。当事者からしてみれば」

 

 半年間、無視され続けるというのは人間にとってどれほどの苦痛なのだろう? 孝樹君と若葉さんは高等部に上がって再会したらしい。と言うことは、再会してすでに1年と数カ月になる。それでもなお、怒りが収まらないほどの苦痛だったのだろうか。

 

「あの2人はある種の病気よ」

 

 愛莉さんが両手を互いの肘に組んだ格好で言った。

 

「もしも、君が藤崎さんと付き合いたいとか思っているのなら、その病気を治さないと、先には進めないわ」

 

「病気?」

 

「例えば、卵アレルギーの人がいるわよね。そういう人は卵を食べることはできない。けれど、卵を食べることができないというのは、卵が嫌いというのと必ずしもイコールではない」

 

「こんなところで、逆・裏・対偶の講義をされても……」

 

「事実関係の確認をしただけよ。第一、今の例では、逆・裏・対偶の解説にはならないわ」

 

 愛莉さんがすっと瞳を細めると部屋の温度が5度くらい下がったような気がした。彼女はひょっとしたら雪女なのではあるまいか?

 

「私が教師なら、小学生からやり直せ、と言うところね」

 

「話の腰を折ってすみません。続きをお願いします」

 

 

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