皇帝の高い買い物【2章-2】


 

 それもそのはずで、この3人は昨日まで宮廷で暮らしていたのである。そして今は、御尋ね者として、ローマ市内を警備する防衛隊や軍によって追われる身なのだった。

 

 そう、コンモドゥス帝暗殺の下手人として――。

 

 しかし、彼らの表情や雰囲気から、追い詰められている様子はない。なぜならば、彼らは逃げ切る自信があるからだ。

 

 コンモドゥス帝の直接手を下したのはこの3人である。この中で唯一の女であるマルチナはコンモドゥス帝の寵愛をうけた愛妾であった。なるほどリキリウスの目から見ても、整った顔立ちの愛嬌のある顔をしている。

 

 そして最も年長の痩せぎすの男は侍従長をしていたエレクトゥス。顔つきだけを見れは誠実そうな、いかにも信用のおける侍従をそのまま絵にしたような顔つきだった。エレクトゥスも皇帝の侍従として甘い汁を吸っていた一人だったが、ローマ帝国を私物化した奸臣クレアンデルとは比べ物にならない小物であった。

 

 この二人がコンモドゥスの酒に毒を混ぜたのである。いくら何でも、最も身近にいるこの二人に命を狙われては逃げようがない。しかし、驚くべき幸運によってコンモドゥス帝は毒を吐き出し一命を取り留めるかに見えた。

 

 慌てたのはマルチナとエレクトゥスである。二人は、万が一に備えて用意していたナルキッソスという男――先ほどリキリウスを迎え入れた男である――にコンモドゥス帝を絞め殺させた。ナルキッソスは剣闘士あがりで、コンモドゥス帝にレスリングの指導をしていた男であった。武勇の誉れが高かったコンモドゥス帝だったが、毒がまだ残っていたために抵抗らしい抵抗も出来ないままに命を落とした。それは192年の最後の日の出来事であった。

 

 193年の1月1日は、新たな皇帝であるペルディナクス帝の誕生を祝う日ではなく、暴君コンモドゥス帝の死を祝う日になった。元老院はコンモドゥス帝を最も不名誉な記録抹消刑(ダムナティオ・メモリアエ)とすることを決定する。それは生前の業績の全てをあらゆる記録から抹消するというものである。

 

 それにしても、マルチナもエレクトゥスもナルキッソスも、コンモドゥス帝なくして贅沢も快適な生活も望めなかったというのになぜ、皇帝暗殺などという暴挙に出たのか。

 

 リキリウスはその裏で糸を引いていたのが近衛軍団長ラエトゥスだったことを知っていた。知っていた理由は、本人から全てを打ち明けられ、その手伝いを命じられたからである。そして、その計画は実行に移され、成功裏に終わったことは先に述べたとおりであるが、そもそものきっかけは、些細なことでラエトゥスがコンモドゥス帝から不興を買ったことにあった。

 

 ラエトゥスがいかに強大な権力を握っているといっても所詮は皇帝に与えられたものに過ぎない。その皇帝に嫌われたとあってはラエトゥスの命運は尽きたも同然。ましてやコンモドゥス帝は蛇のように執念深く、残酷な男である。単に職務を解かれるのみではなく、どのような仕打ちが待っているか……。

 

 それを怖れたラエトゥスは皇帝の排除を決断し、一計を案じた。

 

 計画の実行のためにはコンモドゥス帝に近くて信用されている者の協力が必要であった。

 

 そこで、コンモドゥス帝に最も近いマルチナやエレクトゥスを引き込むために宮廷内の人間を使って一枚の名簿をマルチナの目に触れさせたのである。その内容は、年明け早々にでもコンモドゥス帝が大量の元老院議員や貴族の殺害を目論んでいるというもので、そのリストであった。その中には、マルチナやエレクトゥス、ラエトゥスらの名前も巧妙に紛れ込ませていた。

 

 恐れおののいたマルチナはラエトゥスのところに相談に向かう。近衛軍団長官がローマではコンモドゥス帝を除けば最大の権力を有している事を考えれば妥当な判断であった。言うまでもないが、その行動はラエトゥスの予想通りの行動である。

 

 

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