皇帝の高い買い物【2章-14】


 

 ネロ帝の暴政が限界を迎えて混乱が始まると、オトーはヒスパーニア・タラコネンシス属州の総督だったガルバを支持する。ガルバは60歳と老齢であり、ガルバが皇帝になったなら、その次は親戚関係があり信頼を受けていた自分だと考えるようになっていたのである。

 

 そして、目論見どおりガルバは皇帝となった。

 

 しかし、そうそう物事は上手くいくものではない。ガルバは後継者としてオトーを指名しなかったのだ。その結果としてオトーは窮地に立たされることになる。なぜなら後継者として支持を貰う為に、莫大な額の借金を背負って各方面に金をばら撒いていたからだった。それは、皇帝にならなければ到底返済できる額ではなかった。

 

 幸い――というべきか? 時流はオトーに味方した。ガルバは近衛軍団に支払われる金――ドナティブムを軽蔑しており支払う気は一切なかった。そのために近衛軍団は早々にガルバから見切りをつけていたのだ。さらに、政治の混乱を収めることができなかったガルバから民衆の期待感も薄れていった。

 

 691月。オトーはガルバと後継者と指名されたピソを殺害し、帝位に就く。しかし、それも長くは続かなかった。すぐさま反乱が起き、オトーが制圧の為にさし向けた軍は緒戦で勝利を収めるものの、ベトリアクムの戦いで敗走する。

 

 だが、その敗戦は帝国の趨勢を決めるような惨敗ではなかった。敗走した軍隊も壊滅的な打撃を受けたわけではなく、むしろ雪辱に燃えていたのである。それにオトーの手元には無傷の軍隊もあり、しかも、長期戦になれば地形上でも、糧食などの面でも、敵の方が不利であった。巻き返しの余地は充分に残されていたのである。

 

 しかし、敗戦の報を受けてオトーが選んだのは自害という道であった。この理由について、歴史家スエトニウスはローマ皇帝伝でこう記す。

 

「オトーは、これ以上国家と国民に多大な犠牲を強いてまで、自らの専制を守ろうとはしなかった」

 

 スエトニウスの父はベトリアクムの戦いにも参戦し、個人的にもオトーをよく知っていたという。それによれば、オトーは市民同士の争いによる犠牲を誰よりも、何よりも嫌悪していたと常々話していたとのこと。命を軽んじることを忌み嫌ったオトーは、無名の兵士の死に際して涙を流してその死を悼んだと伝えられる。

 

 最後は肉親や友人たちにしっかりと別れを告げ、財産を召使らで分配させ、遺書を残し、自らの胸を剣で突いて死んだとローマ皇帝伝には記されている。享年38歳。

 

 それは“誇り”という言葉がそのままあてはまるような最期である。人間の行動が必ずしも首尾一貫しないことは珍しくもない。オトーにもまた、オトーなりの正義があり、その時々において、自らが信じる正義に沿って行動した結果であったのだろう。

 

 ユリアヌスは、そのオトーが自らの前に現れた理由を考え続けていた。

 

 そして一つの結論にたどり着いた。

 

「これは警告か?」

 

 オトーに問う。

 

 確かに、現在の状況を見れば、ネロ帝が死んだ時の情勢に似ていると言えなくもない。ネロ帝の死はローマに大きな混乱をもたらした。ガルバはわずか10ヶ月。オトーは3ヶ月。そしてオトーを失脚させて皇帝となったウィティリウスも半年ともたずに表舞台から去る。ようやく秩序が回復するのはその次のウェスパシアヌスの時代である。

 

 その間の政治の混乱と内戦の記憶はローマ帝国の歴史に強く刻まれていた。

 

 あの悪夢が、再び起きようとしているというのか。

 

 たった一言だったが、その一言にローマ帝国そのものの未来に対する憂いを乗せてユリアヌスは問うた。しかし、オトーからの返答はなかった。返答はないまま、オトーはユリアヌスに背を向け、音もなく部屋を出て行った。

 

 ユリアヌスはトゥニカの上から上着を羽織ると、その後を追った。

 

 足早にオトーを追いながら、意識を失う前に聞かされた報告を思い出す。セウェルスの反旗――。ローマ帝国最大の戦力を有している男が立ったとなれば、戦いは避けられない。ユリアヌスの手元にある兵力は近衛軍団が2万弱。皇帝とローマを守り続けてきた最強の軍団である。数の上の質の上でも充分に戦えるはずだった。

 

 ユリアヌスはオトーのように全てを投げ捨てる気など毛頭なかった。そう……自分はオトーのようにはならない。その思いが、そのまま口から吐き出された。

 

「なってたまるか!」

 

 

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