皇帝の高い買い物【2章-10】


 

「如何致した?」

 

 今度はユリアヌスが問う。

 

「いえ……ひょっとしたら、ガイウス帝が新しい皇帝陛下を見に来たのではないか、などと思ったものですから。御存じありませでしたか? 150年前、ガイウス帝はあそこで殺されたのです」

 

 と、先ほどユリアヌスが血まみれの男を見たあたりを指差した。

 

*     *     *

 

 帝政に移行して約200年の間に、ローマ帝国は様々な皇帝を戴いたが、残念ながら暴君と呼ばれる皇帝も数多く存在した。

 

 権力者特有の万能感がそうさせてしまうのか、逆に、権力者ゆえの猜疑心、恐怖がそうさせてしまうのか、その理由は様々だった。あるいは、心に病を抱えてをもって帝位についてしまった皇帝もいたのだろう。

 

 後世では、一種の鉛中毒の影響があったのではないかと指摘する研究者もいる。鉛の有害性は後世では広く知られるところとなったが、ローマ時代にはそのような認識はなく、コップなどの日用品にも普通に使われていた上に、水道管には鉛が使われていた。

 

 ローマは優れた上水道を整備していたが、鉛が少しずつ融けだし、人々の体内に有害な影響を及ぼしていたとしても不思議はなかった。事実、後世発掘されたローマ人の頭髪からは、大量の鉛が検出されたという。

 

 それは皇帝とて例外ではなく、鉛が皇帝の心と体を蝕んでいたのではないかという指摘である。その指摘の真偽に関しては、今となっては確かめようはない。

 

 それはさておき、ローマ帝国が帝政に移行して200年余りの間に、2代皇帝ティベリウス、5代皇帝ネロ、17代皇帝コンモドゥス――など多くの暴君が出現した。

 

 そんな暴君の中でも最も有名なのは、3代皇帝ガイウス・ユリウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクスである。幼少期のあだ名であるカリグラの方が有名だろう。ちなみにカリグラとは軍靴のことであった。

 

 アウグストゥスの孫である大アグリッピナと、名将で知られながらも2代皇帝ティベリウスに冷遇されていたゲルマニクスを父に持つガイウス帝は、アウグストゥスの妻の連れ子に過ぎなかった2代皇帝と比べて、血筋という点でははるかにアウグストゥスに近かった。

 

 ガイウス帝の統治期間は37年から41年までの3年と2ヶ月であり、その間ローマの最高権力者としての威信を高めることに精力を注ぎ、数々の建築物を造り、ローマ帝国の領土の拡大に力を注いだ。

 

 その性格は残忍極まりなく、享楽に耽り、性的にも倒錯した生活を送っていたという。彼には3人の妹がいたが、その全てと関係を持ったと伝えられる。

 

 ガイウス帝の先代のティベリウス帝も暴君の一人として知られている。しかし、ガイウス帝のそれとは性質が違っていた。ティベリウス帝は厳格さを自らに課し、法による公正な統治こそ帝国の安定と信頼を築くと信じ、これを実行に移そうとしたのである。19世紀ドイツの歴史家、テオドール・モムゼンは「ローマ帝国が戴いた最良の君主の一人」と称した。

 

 しかし、腐敗した元老院に嫌気がさしたティベリウスはカプリ島へと引きこもり、そこから政治を行うようになる。晩年は周囲の人間を誰ひとり信じられなくなり、恐怖政治を断行した。密告を奨励し、ローマ市民もまた猜疑心の塊になって生活しなければならなかったと伝えられる。ティベリウス帝は苦しんで死ぬ様を愉しむために、その処刑方法は残酷なやり方を好むようになったという。

 

 ティベリウス帝の死は、ローマ市民に歓喜とともに伝えられ、当時24歳のガイウス帝には大きな期待が寄せられた。しかし、自分たちが再び、いやティベリウス帝以上に恐怖を撒き散らす皇帝を戴いてしまったことに、2年もすれば気付くことになる。

 

 ガイウス帝は自分の楽しみの為に思いつきで人をいたぶり、殺し、思いつきで戦争をし、思いつきで妹でも他人の妻でもベッドに引きずり込み、思いつきで散財するような人物であった。

 

 妹のドルシアを溺愛し、彼女が死んだ時はローマ中を喪に服させ、それに従わない人間――喪中に談笑したとかいった些細なことであっても――処刑された。また、髪が薄いことを気にして、道を行くガイウス帝を二階から見下ろしたと因縁をつけては処刑した。

  

 ティベリウス帝はローマ帝国皇帝という魔力に敗れて暴君となったが、ガイウス帝は生まれながらの暴君であった。

 

 

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