皇帝の高い買い物【2章-1】


  

2章 皇帝陛下への来訪者

 

『全ての道はローマに通ず』という諺がある。人が何かを成そうとする時に、目的へと至る道は一本道ではなく幾通りもあることや、どのような過程を経ても真理に到達することを例えた言葉である。

 

 古代ローマの時代に整備され張り巡らされたローマ街道を人生の訓示や哲学的思想の例えに用いたこの言葉はまさしく至言だが、ローマ街道はもともと辺境の地へローマから軍団やローマからの伝令が素早く移動できるように整備された軍用路だった。

 

 ローマ街道の始まりは紀元前312年にナポリ近くのカプア市までの街道建設に着手したことに始まる。それから数百年かけてローマ街道は、ローマという心臓を支えるための血管のようにイタリア半島中に張り巡らされていった。

 

 一般人も自由に通行できたことから、帝政が始まりやがてローマによる平和(パクス・ロマーナ)と呼ばれる時代を迎えると商用の荷を移動したりするのに欠かせない道に、その役割は変化していった。

 

 そういう意味で、全ての道はローマから始まる、と言った方が正確かもしれない。

 

 ローマ街道は雨が降った時の水はけの問題や経年による弓なりの発生などにも配慮されたローマ時代の最先端技術を駆使して造られたものである。ローマ時代のローマの土木技術はまさしく世界一であった。

 

 とはいえ、その整備された街道を通って大量の荷を積んだ荷馬車などが毎日沢山行きかうのである。ローマは世界最大の百万都市。日中歩く人たちの量も半端ではない。そんな中を荷馬車が走り抜ければ市民にとっては危険この上ない上に、ローマ市内で工事などがあったりすると足止めを食らったり迂回しなければいけなかったりして混乱が起こり治安上もよろしくない。

 

 そこで当局は、日中の荷馬車の乗り入れを禁止して日没以降に限定する措置を取ったのだが、ローマの街道は石畳である。その上を荷馬車が走ればどれほどの騒音が発生するかは想像に難くないだろう。結局は騒音を夜中に持ち込む結果となった。

 

 リキリウスは、そんな荷馬車の走る音や牛馬の蹄の音を背に受けながら、ローマの隅の薄汚れた一角へと足を踏み入れた。裏街道を歩く黒い外套を羽織ったリキリウスの姿は、暗闇のなかということもあって全く目立っていなかった。

 

 ローマでは年々増加する人口に対応するために、インスラと呼ばれる高層マンションが数多く建設されたが、ここはインスラにも入居することができない人たちが暮らす、ローマの最下層の貧民街である。街灯などというものも当然ない。

 

 どこも粗末で風が吹けば潰れそうな脆弱な家だった。貧しい者が集まって勝手に建てたいい加減なものや、はるか以前に作られて今は廃屋になっているものに居ついたような代物ばかりだから仕方ない。

 

 そんな中では幾分ましな粗末な家の扉の前に立った。土を固めたような壁で、入り口が妙に低い。中に入ると階段があり、外の道より2キュビット(1キュビットは約44.4cm)ほど低くなっていることをリキリウスは知っていた。

 

 軽く2回ノックする。落ち着いて叩いたつもりだったが、異様に音が響いた気がした。無意識のうちに気が荒ぶっているのかもしれないとリキリウスは思った。

 

 扉が開くと中から屈強なそうな中年の男が顔をのぞかせた。リキリウスもよく知った男だ。「あんたか」と男が呟いたのが聞こえた。顎でしゃくるようにして中に入るように促されたので、リキリウスは中を覗き込んでから足を踏み入れた。

 

 中には先ほどの屈強そうな男の他に、妙齢の美しい女性。それに、中年を超えて壮年に差し掛かるくらいの年齢の痩せぎすの男のがいた。

 

 ここにいる3人の服はそう悪いものではなく、女のカールをかけた髪は上流貴族のヘアスタイルを思わせた。少なくとも、このような場所にいるような人間には見えない。

 

 

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