皇帝の高い買い物【1章-6】


   

 ユリアヌスが初めて先々々帝であるマルクス・アウレリウスと出会ったのは、ユリアヌスが勉学と見聞を広めるためにローマへと送られた10代初めのころのことだった。西暦に直せば140年頃。マルクス・アウレリウスはまだ皇帝になっていなかったが、アントニヌス・ピウス帝の養子となり宮廷に入り、着実に経験を積み、次期皇帝としての準備が進められていた。

 

 ユリアヌスが勉学の為に預けられた先はマルクス・アウレリウスの母親であるドミティアの所であった。そのため、多忙の中にあっても折を見て母親に会いにたびたび戻っていたマルクス・アウレリウスとも面識があったのである。

 

 96年のネルウァ帝の即位から、このマルクス・アウレリウス帝が死去する180年までの約80年強を、後世では五賢帝の時代などと呼んだりする。優れた皇帝によって統治され、ローマ帝国の最盛期となったこの時期を、19世紀英国の歴史家ギボンは「人間が最も幸福であった時代」とまで称した。

 

 この五賢帝の時代の特長の一つが、極めてスムーズな政権移譲が行われたことである。皇帝は、腹心や縁故の者の中から傑出した人物を選び、養子とすることで問題なく次の世代へと権力を移行させていた。マルクス・アウレリウス帝は実子であるコンモドゥスに帝位を継がせたが、そのコンモドゥスが出鱈目な政治をし、ローマを混乱に陥れたことは前述のとおりである。

 

 物事は、上手くいっている時は偶然の産物であってもシステマチックにそれが行われたような印象を受ける。現実には、各皇帝には実子がおらず、やむを得ない措置として行われたに過ぎなかったのだが、それによって権力の移行が上手く行き優れた皇帝の下で平和を享受できたことや、後のコンモドゥス帝の失敗から、非常に素晴らしいシステムが構築されていたような錯覚を覚えるのはやむを得ないのだろう。

 

 それはさておき、そのことを知っていたユリアヌスが、次期皇帝の芽が自分にもあると下卑た想像をたくましくし、期待をしたとしても、それは赦される範囲のことだっただろう。ユリアヌスは、マルクス・アウレリウス本人とその母親に気に入られるための努力を惜しまなかった。もっともそれは、ユリアヌス本人の性格上の誠実さから来るものが大半であり、マルクス・アウレリウスに対する尊敬の念も、知性によって国家は統治されるべきというマルクス・アウレリウスの思想に強い共感と共鳴を覚えたからである。

 

 胸のどこかに、マルクス・アウレリウスに気に入られて後継者として指名されることを望んで、打算的な好意を振りまいたとしても、それはユリアヌスの評価を下げることには何ら繋がらない。それは別に他者を陥れ自らの評価を過剰に上げようという下種のそれではなかったし、卑屈なまでに取り入ろうとする矮小な人間のそれでもなかった。ただ、胸の内で自らの頭上に月桂樹の帝冠を戴くという、ユリアヌスにとってはささやかな期待を抱いていたにすぎない。それは人であれば誰でもが持っているちっぽけな野心の一つにすぎず、ユリアヌス自身にはそれだけの才覚、出自の良さという、他の者が望んでも容易には手に入らないものを生まれながらにして持っていたために、他人よりもやや大きな願望を抱えることができたというだけのことだった。

 

 人間の善行の全てが誠意から来るものではならないと固く信じ込むのはお人好しを通り過ぎて、危険な原理主義者である。少なくともマルクス・アウレリウスは哲人皇帝と後世に讃えられた、義と理を非常に重視した人物ではあったが原理主義者ではなかった。その母親もである。

 

 彼らはユリアヌスに好感を持ち、ドミティアは、ユリアヌスの出世に少なからね支援をしていたし、何よりもマルクス・アウレリウス本人がユリアヌスを信頼し、引き立てていた。結果、ユリアヌスは同時代の俊英たちを押しのけて、異例の抜擢を受けることになったのである。

 

 しかし、帝冠に関しては、マルクス・アウレリウス帝が子供に恵まれたことで夢想に消えた。マルクス・アウレリウス帝は生涯に7人の男子と6人の女子を授かった。これでは、血縁のない他人が帝位争いに加わる余地など何処にもない。

 

 

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