皇帝の高い買い物【1章-19】


   

 クレアンデルは皇帝の信頼を盾に、傍若無人に振舞った。賄賂を受け取り、官位を売買するのなど日常茶飯事である。たちまちのうちにクレアンデルの私邸は官位を求める欲望むき出しの愚物どもで溢れかえるようになり、真に国を憂う有能な官吏たちは閑職に追いやられていった。

 

 そうなると、享楽主義者の皇帝を戴きながらも、腐敗や汚職とは無縁だったペレンニスが政務を仕切っていた精練な時代はあっという間に過去へと追いやられ、宮廷が、元老院が腐っていくのにさしたる時間は必要なかった。

 

 それなのに――ローマの庶民にさえ、毒巣と化した宮廷や元老院の惨状は知れ渡っていったというのに、それでもコンモドゥス帝は現実に目を向けようとはしなかった。

 

 時代は、新たな英雄を求めていた。元凶たるクレアンデルを排除し、コンモドゥス帝の目を覚まさせ、正義と道徳でもってローマ帝国を正しい方向に導いてくれる英雄の存在を。

 

 ユリアヌスが見るところ、今のローマ帝国にそれが出来るのは唯一人、ペルディナクスを置いて他にはいなかったが、今のペルティナクスでは力不足だった。しかも、マルクス・アウレリウス帝との誓いは彼らを束縛し続けた。

 

「私は誓いを忘れる気も、破る気もない」

 

 ペルティナクスはきっぱりと言いきった。

 

「私が打倒するべきはクレアンデルただ一人。決して皇帝陛下に弓を引くつもりはない」

 

 それから手入れされた顎髭に手をやり、

 

「出来れば、あなたがローマに戻ってくる前には決着をつけるつもりだ。そして、あなたがローマに戻ってきたその暁には、どうか、私の後継者となって皇帝陛下を支えてほしい」

 

 後継者――。

 

 ペルディナクスは確かにそう言った。これまでにも、ペルディナクスがユリアヌスを冗談混じりに「彼は私の後継者だから」と他人に言ったことがあることは知っていたが、正面きって言われたのは初めてのことだった。

 

 それは、これまでに何度かペルディナクスの後任にユリアヌスが就くことがあったとか、娘婿のレペンティヌスがペルディナクスに近い親戚筋の人間だとか、そういう理由があったからだった。

 

 このときは単に、クレアンデルを打倒した後、側近としてその地位を引き継ぐであろうペルディナクスの後で、コンモドゥス帝を支えてほしい……そういう意味だとユリアヌスは解釈した。

 

 そしてペルディナクスは予定通り首都長官の任に就き、ユリアヌスはそれからしばらくして小アジアの属州の総督としての任が与えられ、ローマを離れることとなった。

  

*     *     *

  

 無残に殺され、頭と胴を切り離されたペルディナクスの、その無念の籠った顔を見ながらあの日の事を思い出していたユリアヌスは、後継者という言葉を口にしたあの時から、ペルディナクスは今日、この日が来ることを予想していたのではないかと思い始めていた。

  

*     *     *

 

  クレアンデルが死んだのはペルディナクスがローマに戻ってから2年後のことだった。ユリアヌスはローマにいなかったので、事の次第について全て伝聞で知ったものである。

 

 その日、怒った市民が宮殿に押し寄せた。腐敗政治がローマの食料事情を悪化させ、ついに耐え切れなくなった市民が立ち上がったのである。これは、コンモドゥス帝の治世において初めての暴動であった。

 

 宮廷の警備隊ではどうにもならないと判断したクレアンデルは、配下の近衛軍団を動員してこの暴動を食い止めようとしたものの、ペルディナクスが隷下の首都防衛隊を配備して近衛軍団の出動を阻止。このような緊急事態を乗り切る能力は、所詮、侍従上がりのクレアンデルには求めるべくもなかった。

 

 

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