皇帝の高い買い物【1章-18】


   

 たとえ我が身を失ってでも守るという忠誠と、支えるべき存在の腐敗という現実の狭間で、彼らもまた苦悩し続けていた。

 

 同じ立場であったユリアヌスも、彼らの苦悩は痛いほどよく分かっていた。そして、この状況を打破するためには誰かが動かなければならないことも。

 

「せめて、ペレンニスが生きていたなら」

 

 ユリアヌスが出した名前に、ペルディナクスは鋭い視線をユリアヌスに向けるという反応を示した。

 

「失敬」

 

 2年前に死んだ当時の近衛軍団長のペレンニスもまた、経験豊かでマルクス・アウレリウス帝の時代に才覚を見出されて出世した軍人であった。そういう意味ではペルディナクスによく似たキャリアを積んでいたが、同属嫌悪とでも言うべきか、ひどく仲の悪い政敵であった。そのためペルディナクスは一度ペレンニスによって閑職に追いやられたことがあったことを、ユリアヌスは失念していた。

 

 コンモドゥス帝の時代は3つに分けられる。側近であったペレンニスが政務を仕切った時代。ペレンニスを謀殺したクレアンデルが実権を握った時代。そしてコンモドゥス帝が親政を敷いた時代。

 

 ペレンニスの時代は180年にコンモドゥス帝が皇帝になってから約5年間続いた。実直で誠実で堅実だったペレンニスの時代は、コンモドゥス帝の統治の時代でも善政と評されるに値する時代であった。しかし、182年に姉のルキラを首謀者とする暗殺未遂事件を経験したことで猜疑心の塊となったコンモドゥス帝は、ペレンニスを次第に警戒し怖れるようになっていった。

 

 さらに皇帝相手でもへりくだった態度を取ったりしない、いかにも武人らしい武人であったペレンニスの態度がそれに拍車をかけた。歯に物着せぬ口調で直言するペレンニスを、コンモドゥス帝は鬱陶しく思うようにもなっていった。

 

 ペレンニスを快く思っていなかったのは、コンモドゥス帝ばかりではない。

 

 叩き上げの軍人でありながら権勢をふるうペレンニスは地方軍団の軍人から苦々しく思われていたし、元老院議員は、生まれながらの貴族ではないにもかかわらず近衛軍団長官の地位まで這い上がってきたペレンニスの経歴を蔑視していた。

 

 逆にペレンニスの方は元老院を軽視する態度を隠そうとしなかったし、幾度かの軍事的危機を見事な手腕で乗り切ってみせ、議員に対しても軍に対しても市民に対しても実力を証明していた。

 

 そのため反ペレンニスの動きは軍の中でも元老院議員の間でもさして大きくはならなかったものの、コンモドゥス帝の腹の中では、ペレンニスに対する不満の芽は大きく大きく成長していったのである。

 

 その空気を巧妙にすくい上げコンモドゥス帝に耳打ちしたのが、当時は宮廷の侍従長であったクレアンデルである。コンモドゥス帝に元老院でペレンニスがいかに嫌われているか真実に誇張を加えつつ伝えると同時に、ペレンニスに謀反の兆候があるとそっと囁いた。

 

 ペレンニスはコンモドゥス帝を追い落として自らが帝位に就こうとしている、と。万の兵力を有する近衛軍団が、ローマ随一の指揮官であるペレンニスに率いられて宮廷に迫れば、とても敵わない。今のうちに手をうった方がよい、とも。

 

 普段から信頼を寄せていたクレアンデルの疑う余地のない言葉。普段のペレンニスの態度から軽んじられていると感じていた不満。何よりも、政治の実権を握る優秀な側近への恐怖。コンモドゥス帝の胸の中で渦巻いていた複雑な感情がペレンニス排斥に動いた。

 

 かくしてペレンニスは皇帝の放った刺客によって妻や妹、2人の子供ともども抹殺される。そして、その惨事がクレアンデルの時代の始まりであった。

 

 皇帝暗殺の企てを事前に発覚させ、解決に導いたことで、クレアンデルへのコンモドゥス帝の信頼は確固たるものになった。ついにはクレアンデルに近衛軍団長官の任まで与えたのである。

  

 

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