皇帝の高い買い物【1章-17】


   

「もちろん」

 

 と、ユリアヌスは応える。ユリアヌスはコインを一枚再びテーブルの上に置いた。ペルディナクスの自分を見る表情がさっきまでの柔和なものから、ひどく強張ったものへと変わったのに気づいた。

 

「もっと、大きなものを賭けてみないか?」

 

 コインをテーブルに置く無機質な音の代わりに、そんな言葉が耳に届いた。

 

「何をだ?」

 

「帝国を」

 

 間髪いれずに返って来たその穏やかならざる科白《せりふ》を、何を馬鹿なことを、と一笑に付したかったユリアヌスだったが、それは出来なかった。ペルディナクスの目は真剣そのものだったし、そもそもこんな冗談を言う男ではない。

 

「冗談だ」

 

 あっさりと前言を撤回したユリアヌスはコインを一枚テーブルの上に置いて、何もなかったかのようにゲームを続けようとした。しかし、ユリアヌスにはこれ以上ゲームを続けることができるはずがなかった。

 

 先ほどの言葉の真偽を確かめるべく、ペルディナクスの置いたコインを押し返して、強い口調で問い質した。

 

「ペルディナクス将軍。今の発言は何だ? 真意を聞かせていただきたい。事と次第によっては、叛意の疑いありと本国に伝えなければならない」

 

「真面目だな、君は」

 

 そう言って笑ったペルディナクスの口元はひどく引きつっていた。ユリアヌスが一睨みするとペルディナクスの口元から笑みが消えた。

 

「これを見たまえ」

 

 一通の書簡がテーブルの下から取り出された。それがユリアヌスに差し出されるまで、わずかな間が空いた。そのわずかな間が、ペルディナクスの葛藤を表しているような気がした。

 

 書簡を受け取ったユリアヌスは開いて内容を確認した。

 

 ユリアヌスが書簡に目を通している間、ペルディナクスは椅子を立ち、窓から外を眺めていた。窓からは、美しく手入れされた庭園が見えるはずだ。

 

 ユリアヌスが読んだところ、書簡の内容自体はごくごくありふれたもので、ローマの宮廷からの属州総督にあてた、属州総督の任に対する労いの意味を込めた書簡だった。問題だったのは、書簡その物の内容ではない。ユリアヌスは思ったままを口にした。

 

「まるで、子供の作文だな」

 

「……」

 

 ペルディナクスは窓の外の庭園を眺めたままで小さく嘆息し、

 

「クレアンデルの専横はかなり酷いことになっているらしいと聞き及んでいる。賄賂を受け取り、執政官の地位すら売買の対象にしているらしい。今やクレアンデルを止めることができるのは皇帝陛下だけだが、陛下はクレアンデルを妄信して、全権を預けたような状況になっているそうだ」

 

 ユリアヌスは苦々しく思いながら小さく頷いた。それはつい先日ローマに戻ってきたばかりのペルディナクスよりも、ずっとローマにいたユリアヌスのほうが、身をもって知っていたことだった。

 

「クレアンデルの専横に嫌気がさした優秀な官吏や元老院議員、貴族たちは次々と宮廷を去っているらしい。残っているのは事なかれ主義の無能な連中ばかり。公式な文書すら書ける者がいなくなった帝国の中枢の実情が、その書簡だ」

 

 ユリアヌスは今や遠く過ぎ去った、今は亡き古き良き時代のローマに思いを馳せた。

 

 マルクス・アウレリウス帝の時代に重用された将軍たちは、ペルディナクスやユリアヌスを始めとして誰も打倒コンモドゥスに動こうとしていなかった。それは、マルクス・アウレリウス帝に対する誓い。コンモドゥス帝を全力で支えるという誓いを誠実に守り抜こうとした結果だった。

 

 しかし、この2年ほど前からマルクス・アウレリウス帝時代の一番の将軍であったクラウディウス・ポンペイアヌスはローマに寄りつこうとさえしなくなっていたし、多くの将軍たちは、コンモドゥス帝を支えるのではなく、背を向け、目を瞑り、見て見ぬふりをすることで、自分自身をごまかしていた。

  

 

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