皇帝の高い買い物【1章-14】


   

 用意された椅子に座り、用意されたテーブルに肘をついて顎髭を弄びながら、気を抜いたとたん緩みそうになる顔を引き締めようと努力していたユリアヌスの前に、一人の将校が台に乗せられた何かを持ってやってきた。

 

「失礼いたします」

 

 妙に顔が強張っている。平静を装っているものの、その将校の声は震えていた。台をテーブルの上に置く。その上に乗っていたのは、一ペース(約二九.五センチメートル)かそれより少し高いくらいの大きさの何かだった。それが何なのか分からなかったのは、白い布に覆われていたからだ。

 

「……おあらためください」

 

 そう促したラエトゥスの口調には、同じく妙な緊張が籠っているが、浮かれた気分のユリアヌスは全く気付かなかった。

 

 ユリアヌスは無造作にその白い布を取り上げ、台の上に乗っている物が何なのかを認識した次の瞬間、思わず椅子から立ち上がった。重い椅子なので倒れはしなかったが、がたがたと揺れたその衝撃が、ユリアヌスの驚愕の大きさを表していた。

 

 冷水をぶっかけられたような気分だった。先ほどまでの浮かれた気分は、一瞬で吹き飛ばされた。頭に登っていた血が一気に下がっていくのが分かる。

 

 台の上に乗せられていたのは、無残に切り離されたペルディナクス帝の首だった。

 

 その顔は年齢からは考えられないほど若々しく見える。両の眼は閉じられているが、それが死後に閉じられたものなのかは分からなかった。しかし、ユリアヌスには、絶命したその瞬間も、かっと力強く見開かれていた様が容易に想像できるような気がした。この男ならばきっと、死のその瞬間まで、見据えようとしていたに違いないと思った。

 

 ローマの、帝国の行く末を。

 

 ユリアヌスにとってペルディナクスとは尊敬できる軍人であると同時に、共に執政官の地位にいたこともある同僚でもあった。そんな自分が、ローマの皇帝の地位を狙って汲々をしている様や、浮かれて舞いあがっている様を、この男が見たらどう思うだろう。とてもではないが見せられたものではない。あの姿は滑稽な道化のそれでしかなかった。今更ながらそのことに思い至るとユリアヌスは両手をテーブルの上に突っ張らせて嗚咽を漏らした。

 

 やがて堪え切れなくなり涙があふれて止まらなくなった。とうとう、辺りをはばからずに声を上げておいおいと泣きはじめた。ラエトゥスをはじめとして近衛軍団の幹部が気を利かせて広間から出て行ったことにさえ気づかなかった。

 

 ユリアヌスは何に対して泣いているのか分からなかった。志半ばにして死んだペルティナクスに対してなのか、自分ような愚かな皇帝を頂くことになってしまった帝国とローマ市民に対してなのか、あるいは舞い上がって大義を見失ってしまった自分自身の馬鹿さ加減に対してなのか。

 

*     *     *

 

 最後にペルディナクス帝と腹を割って話したのはいつのことだっただろう。アフリカ属州総督の任を終えて宮廷に挨拶に立ち寄った、ほんの数日前のことではない。

 

 ペルディナクス帝がまだ皇帝ではなかった5年前の話だ。西暦に直せば187年だが、この時代はまだ西暦という考え方はない。時期は今と同じ3月の終わりごろだった。その時は当時26歳のコンモドゥス帝が健在であり、ペルディナクス帝が首都長官の任に就くために北アフリカの属州からローマへと戻ってきたときだった。この頃は、ユリアヌスはローマにいて食料長官の地位にあった。

 

 軍務と行政を行ったり来たりするのはローマの官僚の常であり、ユリアヌスもこの後、小アジアの属州へと移動することになっていた。

 

 属州というのは、ローマの植民地のようなものであり、その総督の有する権力と軍事力は絶大なものがある。何せ、属州の行政、課税と財務、司法、防衛とありとあらゆるものを担っていたのが属州総督である。

  

 

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