皇帝の高い買い物【1章-13】


   

 この争いは所詮個人同士の諍いに過ぎないが、賭けている物はあまりにも大きすぎた。敗者とその一族にはカルタゴと同じ運命が待ち受けている。それを妄想の産物だと一笑に付すことなど出来る筈がなかった。何度も繰り返すようだが、ローマ帝国皇帝は世界一の権力者なのだ。

 

 再び、将校が裏門を開けてユリアヌスの方に寄ってきて一礼すると、

 

「スルピシアヌス閣下が12,000セルティウスを提示されました」

 

 と言った。

 

 それから、「続けられますか? 降りられますか?」と言葉を繋ぐが、降りるなどという選択肢があろうはずがない。当然、続行である。ユリアヌスが提示した13,000セルティウスという額を復唱し、将校は再び裏門から消えて行った。

 

 それから再び将校が姿を現して……というやり取りが何度か繰り返された。それは永遠に続くかに思われた単調な作業だったが、いつかは終わりがやってくる。

 

 スルピシアヌスが提示した20,000セルティウスに対して、勝負をかけるつもりでユリアヌスは25,000セルティウスに、一気に値を吊り上げた。

 

 次に将校が出てくるまで、これまで以上に長い間が開いた。静けさが辺りに充満し、緊張感が否応なしに高まってくる。頬を垂れてきた汗を手の甲で拭うのと同時に裏門が音を立てて開いた。何度も聞いたことのある音だったが、今回は異様なほど重々しく聞こえた。

 

 出てきたのが長官のラエトゥスや副官のクリスピヌスをはじめとした近衛軍団の幹部たちだったことで、ユリアヌスは自らの勝利を知った。スルピシアヌスが勝負から降りたのか、ラエトゥスがオークションを切り上げさせたのかは分からなかったが、そのような些末なことに心を奪われたのはほんの一瞬のことだった。

 

 次に自分が皇帝と凱旋将軍のみに許される赤紫色の下地に金糸で刺繍されたトーガを身に纏った姿を想像した。世に権力者と呼ばれる存在は無数にいるが、世界一の大帝国の頂点に位置するその姿。あのトーガを纏《まと》って、皇帝陛下とローマ市民から喝采を浴びる自分の姿を想像するだけで、自然に口元が緩むのが自分でも分かった。

 

「どうぞ。皇帝陛下。中へお入りください」

 

 ラエトゥスが掌を下にして右腕を前方斜めに真っ直ぐに上げたローマ式敬礼を取りながらユリアヌスを迎え入れる。

 

 ユリアヌスが裏門を入っていくと、万を超える近衛軍団の兵士たち全員が整列し、ラエトゥスがそうしたように右手を上げた敬礼でユリアヌスを迎えた。万の兵士が一糸乱れず整った敬礼で迎える様は壮観だった。

 

 その兵士の垣根で作られた真っ直ぐな道を、ユリアヌスは手を振りながら進んでいく。それは確かに、皇帝に相応しい威風堂々たる姿であろうとユリアヌスは思っていた。

 

 天にも昇らぬ気持ちというのを初めて知ったような気がする。これがローマの皇帝なのだ。かつて、第2次ポエニ戦役の英雄スキピオ・アフリカヌスも、共和政ローマに帝政の礎を築いたユリウス・カエサルも、手に入れることができなかった絶対権力者の称号。それを手に入れたのだ。

 

 こうやって、兵士たちが注視している中でなければ、大声を上げて笑いだしていたに違いない。死ぬほど笑い転げても、それでもなお止まらないほど笑っていたに違いない。

 

 しかし、それを見たとしても、嘲笑う者などいはしない。なぜなら、ローマ帝国皇帝は、世界一の権力者なのだから。

 

 そんな浮かれた気持ちで、兵士たちの間を通り、ラエトゥスの先導で兵舎の中の広間へと通された。夜は始まったばかりだ。これからフォロ・ロマーノにある元老院の議場へと向かい、元老院から皇帝就任の承認を得なければならない。しかし、近衛軍団の後押しを得たユリアヌスの皇帝就任を邪魔するような議員はいないだろう。

 

 さて、それでは所信表明の演説の内容でも考えておこうか。

  

 

1章-12】へ  【目次】  【1章-14】へ

 

▼あなたのクリックが創作の励みになります。▼



▼感想をいただけると更なる励みになります▼
 
『皇帝の高い買い物』の感想