北の森の大蛇【23(最終)】


 

 ウォールの全身から、殺気がみなぎったのは、まさしく俺の間合いの内側――死線を越えた時だった。それは、一瞬で俺を殺すことができる距離。戦闘態勢をとろうとするより先に、ウォールがダガーを腰から引き抜き、俺の腹に突き立てた。俺はとっさに手を出して庇おうとしたが間に合わなかった。ダガーが俺の腹に突き刺さり、引き抜かれる。鋭く痛みに耐え切れず俺は膝をついて、そのままうつぶせに倒れた。

 

 傷口が痛い。

 

 熱い――。

 

 傷口から溢れ出る大量の血液とともに生命が抜け出していくのが分かる。今までにも死を感じたことはあったが、これは全く違う。俺の背後に忍び寄った“死”はあまりにリアルだったが、不思議と心地よく感じた。

 

 まるで夢の中にいるように。

 

 俺は意識をはっきりさせようと、懸命に両目と口を大きく開いた。

 

「何のつもりだ……これは。何の真似だ! これはっ!」

 

 叫んだつもりだが、声が出ない。

 

 倒れた俺の目の前に立ったウォールが握る大降りのダガーの刀身から真っ赤な血液がぽたぽたと滴《したた》り落ちてきた。こぼれ落ちているのは俺の血だった。血の雫が俺の目の前に落ちると、なぜか、しゅうっと微かな音と血をたてた。

 

「あの世への土産話にどうしてこうなったか教えてやろう」

 

 俺の上のほうから笑いを含んだウォールの声が聞こえてきた。語り始めたウォールは、どうやら自分の握ったダガーにこびりついた血液が、明らかに人間のそれと変質を始めていることに気付いていなかった。

 

「大蛇が死んで、北の森から北の王国への道が開いたことをまだ悟られるわけにはいかないのだよ。……北の王国との戦争の為にはな」

 

 戦……争?

 

「きっかけは些細な事さ。北の王国の姫君の着ていたドレスが、我が国の姫君のドレスと被っていた上に、我が国の姫君より美しかったのが理由らしいが……バカバカしい話だと思うよ。我ながら、な。だが軍人は命令が出た以上、戦争に勝つ最善の手を打つ必要がある。そこで思い付いたのが、この北の森というわけだ。この森を突っ切ることができたら、北の王国まではあっという間だ」

 

 ウォールはひょいっとユミールの死体を顎でしゃくった。

 

「まぁ、あいつも役立たずは、役立たずなりに、役には立ったな」

 

 話を聞いている間に、ふと奇妙な感覚を覚えていた。

 

 熱い……。

 

 全身が燃えるようだ。

 

 全身をめぐる血が沸騰しているかのようだ。

 

 さっきまで出て行く一方だった生気が、逆に戻ってくる。

 

 身体が鋼に変わっていくかのようだ。

 

 俺はゆっくりと立ち上がるとウォールを真正面から睨みすえた。ウォールの顔色は蒼白だった。その表情は驚愕だろうか。

 

 俺の目線はそこでとどまらず、さらに高く高くなっていき、ウォールを見下ろすほどの高さになった。

 

「こ! これは一体……」

 

 俺の身に一体何が起こっている? 俺はぐるりと見回した。大蛇の尻尾が細かく揺れているのが見えた。その尻尾がが自分の体から生えていることに気付くのにやや時間がかかった。

 

 周囲よく見回すと、さっきまで大蛇の死体があったところに死体がなく、干からびた死体が一つ増えていた。

 

「何をしている! 殺せ!」

 

 ウォールが叫んだ。

 

 殺せ?

 

 それはコチラの台詞だ。

 

 ウォール以外の4人がいっせいに飛び掛ってくるが、俺が少し体を振っただけで、4人ともいともあっさりと弾けとんで動かなくなった。

 

 俺は、恐怖からか、小刻みに体を震わせながら一歩も動けないウォールの正面に立ち、大きく口を開いた。

 

エピローグ

  

 食い千切ったウォールの頭部を吐き出した時、俺は自分の身に起きたことをあらかた悟っていた。

 

 俺は、いつか来るであろう次の『俺』に殺されるその時まで、この森の大蛇として生き続けなければならないのだ。この森にかけられた呪いの歯車に俺は否応なく組み込まれてしまったのだ。

 

 こんな呪いを仕掛けた人間が何を考えていたのか知りようはない。誰が始めたか分からず、終わらせ方が分からない以上、俺に残された選択肢はない。自殺、という選択肢があるのかもしれなかったが、不思議と今の俺の頭の中にはその選択肢が浮かんでこなかった。

 

 俺はもう一度声を上げた。

 

 森全体がぶるぶると震えるような、低く、激しい声で。

 

 新しい支配者が生まれたことを、この森のあらゆる生命に知らしめるためだ。

 

 ひとしきり叫び終えると、そして俺は進み始めた。

 

 ずるり、ずるり、とすっかり重くなった体を引きずって……深い森のさらに奥深くへと。

 

 

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