雪の残り【9】


 

  低く冷たいその声に私は反射的に総毛立つ。威嚇したり怒気を込めているのとは全く違うけれど、ぞっとするような凄みを含ませた孝樹君の物言いに若葉さんの顔がくしゃりと歪んだ。

 

「やっぱり、私のことを赦してくれないんだね?」

 

 上ずった掠れ声で言う若葉さんに対する孝樹君の反応は、やはり冷ややかなものだった。

 

「今更、何を言う? 赦さなかったのは君の方だろう?」

 

 そう言うと孝樹君は歩き出し、若葉さんの方は、その場にうずくまってずっと嗚咽を堪え続けていた。結局、孝樹君は最後まで若葉さんの方を見ようとしなかった。

 

 孝樹君の姿が見えなくなった頃、とうとう堪え切れなくなって、わっと声をあげて泣き始めた。

 

*     *     *

 

「何だかさ……2人の間には、そうとうに深いものがあるみたいなんだよね」

 

 昼休みは中庭で過ごす。餌入れの中のお昼の学食の余りというか賄いというか残飯というか……を頬張りつつ、私は朝見たことを純一君に話していた。

 

 何せ1学年1000人からの生徒がいるという学校である。学生食堂も立派で、私1人食べさせてくれるくらいのものは、調理場のおばさんの好意で餌入れ付きで出してくれる。餌入れを中庭に運んでくれる人がいないときは、学生食堂の調理場から外に出るアルミの扉の脇で食べるが、運んでくれる人――もっぱら今、私の横にいる純一君のことなのだが――がいるときには、中庭で日向ぼっこをしつつ食事を摂る。その後は休憩時間が終わるまで心行くまで昼寝をし、授業が始まると学校の敷地内を散策して回るのが常だった。

 

 何の脈絡もなく、純一君と以前交わした会話が脳裏に甦ってきた。

 

 この創成学園が県下随一の大規模校だという話である。他の学校もこんなに広くて沢山の人が通っているの? と聞いた時だ。

 

 その時、純一君は「この学校が特別なんだよ」と少し誇らしそうな顔をしつつ答えたものだ。

 

「まぁ、そういう学校だから、僕みたいに勉強もスポーツもダメなやつでも入れるけれど、露骨に優秀なのとそうでないのと差を見せつけられることになるから。教師とかの扱いも全然違うしね。入学するまではこんな風に扱われることになると思わなかったよ」

 

「優秀なのって、例えば孝樹君とか?」

 

 純一君は小さく頷いた。

 

「あいつは、中学もこの学園の中等部から上がってきた奴で、あいつが属しているのは総合進学科っていう4年制の国立大とか医大とかを目指しているような奴らが集まるところなんだ。他の学科……商業ビジネス科とか、工業技術科とかは、それこそ専門的に何かを勉強したいって連中が集まるようなところ。普通科に来るのは、体育コース系や家庭科コース系みたいに意欲がある連中を除けば、滑り止めで受けて本命に落ちた連中や何の目的意識もなくてただボーダーラインが近くて募集人数が多いから選んだような連中ってことになる。意欲がある連中から最後のグループがどういう目で見られているかは、分かるだろ?」

 

「分かんない」

 

 私は、きっぱりと答えた。

 

「馬鹿にされるのが嫌なら意欲とやらを持てばいいじゃない。意欲というのを持つのが嫌だったら、馬鹿にされていればいいじゃない」

 

 この時の私は、“意欲”とかいうのが何なのか分かっていなかった。少なくとも、食べ物や飲み物や首輪などではないことは確かだ。人間は心の中にさえ色々な物を抱えていて、それは、人間にとってとても大切な価値基準なんだろうと思うばかりである。

 

 人間の価値基準において、“将来“というのがとても重要な意味を持つらしいというのは何となく分かったけれど、成長したからといってどうなるものでもない私には実感がなかった。

 

 何よりも、彼の話の中には私には分からない単語が多すぎて、半分ほども内容を理解できていなかった。ただ、人間は色んなものを着こんで、色んなものを持って、その上心の中にさえ色んなものを持ちすぎだと思う。

 

 

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