雪の残り【4】


 

  他の猫に会う機会は少ない。同種の友人がいないというのは不幸なことかもしれないが、人間たちがよく遊んでくれた。その時に、戯れに人間たちの言葉を覚えてみた。話していることが何となく理解できるようになり、同じように発声できるようにもなった。そして、初めて声をかけたのがさっきまで中庭にいた森上純一である。

 

 彼は最初は驚いていたが、やがて、普通の猫は人間の言葉など話さないことや、話すことがばれたら見世物にされてしまうかもしれないと説明してくれた。見世物というのがどういうことかわからなかったけれど、痛いことをされたり捕まったりするのは嫌だったので、他の人間の前では言葉を話さないことにした。

 

 残雪という名前を付けたのも純一君である。他の人間は「ニャーちゃん」だの「タマ」だの、好き勝手に呼んでいるので、名前などあってないようなものだけれど、とりあえず自分の中では自分の名前は残雪だと考えていた。

 

  命名の由来は、私の茶色の毛に白い毛が斑になって入っている模様が、冬の山の上に積もって融けて残った雪のようで綺麗だということのようだ。しかし、今年の冬に見た校庭は、融けかけの雪でぐしゃぐしゃのびしゃびしゃになっていて、人が歩くと汚い泥が跳ねまわる、とてもではないが綺麗とは言いかねる光景だった。

 

  後から私が抗議するとこう答えたものだった。

 

 「遠くに見える綺麗なものも、近くから見たら実はすごく醜くかったりするものだよ。だから、綺麗なものは遠くから眺めるだけにした方が、よっぽど幸せでいられるものなんだよ」

 

 純一君の口調には妙に実感がこもっているような気がした。さっぱり意味が分からないけれど。

 

「ただし、美味しそうなものは別。遠くから眺めるだけだったら不幸になる」

 

 冗談めかして続けた言葉の方が、私にはよっぽど真理のように思えた。

 

*     *     *

 

 放課後になると、私はいつものように校舎の中を歩いて回っていた。意外にこの学校の人間は野良猫が我が物顔で歩いているという状況に寛容に接してくれており、ある程度のことは黙認してくれていた。

 

 創成学園高等部の校舎は4階建てになっている。階段のいくつかあるが、南階段の1階から2階への踊り場で、私は足を止めた。

 

 大きな紙が張り出されている。何か書いてあるようだけれど、残念ながら私は人間の文字を理解できない。しかし、一緒に張り出してある人間の顔写真には見覚えがあった。

 

 この、写真越しでもはっきり分かる鋭い眼光に怖さを感じさせられる風貌は、昼間会った名城孝樹だと思う。人間の顔は見分けづらいけれど、やはり間違いないはずだ。

 

「残雪。こんなところで何をやっているんだ」

 

 張り出してある紙の真正面に座り込んで眺めていた私に、誰かが声をかけてきた。残雪と私のことを呼ぶのはたった一人だ。私は立ち上がり、純一君に向けて一声鳴いた。彼は、私を抱き上げると、私が見ていた紙に目をやった。

 

「何だ……校内新聞を読んでいたのか」

 

「こうないしんぶん?」

 

 まず“しんぶん”の意味が理解できない。

 

「学校の中であった出来事とかを記事にして書いてあるんだよ……今回は、インターハイ出場選手特集だってさ」

 

 言いながら、なになに……と校内新聞を声に出して読んでくれる。

 

「インターハイ?」

 

「高校生の日本一を決める大会だよ。うちの学校はスポーツも盛んだからね。全国大会に出る選手も多いんだ。名城も水泳のバタフライ100m、200mでの出場が決まっている。去年も出てるけれど、去年は入賞どまり。今年はずっと絶好調を維持しているから、表彰台も期待されているってさ」

 

「ふ~ん。……それって、凄いの?」

 

「凄いに……決まっているさ」

 

 凄い、と口にした後に僅かな間が空いたのは何故だろう。私がそれを疑問に思うよりも早く、純一君は校内新聞に書かれた文章を指でなぞりながら私に言った。

 

 

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