雪の残り【30】


   

 純一君に会うのは終業式の日以来だ。あの時見せられた機嫌の悪さは微塵≪みじん≫も残っていなかった。もしも、先日、若葉さんが孝樹君に「ありがとう」って言われたことをとても喜んでいた、なんて言ったら純一君はまた不機嫌になるだろうか?

 

 そんなことを思いながらだったせいか、私の返答には棘のあるものになってしまったかもしれない。

 

「……純一くんこそ、何しに来たの?」

 

「僕は例の観察記録をパソコンに収めに。僕はスキャナは持っていなくてさ」

 

 と何枚かの白い紙をぴらぴらと振って見せながら答えた。例の、というのは例の太陽観測のことだ。これだけの上天気が続いたら、さぞや太陽も見やすかったことだろう。

 

 スキャナが何のことかわからなかったけれど、人間の道具は私には理解不能なものが多いので特に聞き返したりはしなかった。

 

「さすがに、毎日こんなにいい天気が続くと観察がはかどっていいよ。ちょっと暑いけれどな。残雪は夏バテしていないか?」

 

「暑くて暑くてへばりそうよ」

 

 私は、ぐでっと犬の伏せのようなポーズを取った。ピンと立った尻尾をゆらゆらと左右に揺らす。

 

「じゃ、涼しいところに連れて行ってやる」

 

*     *     *

 

 連れてこられた部屋には、テレビとかいうものが沢山置かれている部屋だった。テレビは、用務員のおじさんに見せてもらったことが何度もある。しかし、こんなにたくさんテレビを置いてあって、一体何に使うと言うのだろう。

 

 私がそう言うと、純一君は面白そうに笑って、「テレビじゃなくてパソコンだよ」と返した。形はそっくりだけれど違うものらしい。しかし、その時には私の興味は、天井でウィーンと音を立てて動き出した謎の機械に注がれていた。何とその機械からは、冷たい空気が流れ出てくるのだ。私は、風の前に陣取り、転がったりして涼しさを満喫することにした。

 

 純一君はといえば、パソコンの前に座って何やら作業を始めたが、私には分からないことなので、気にせずにこの極楽を楽しむことにした。

 

 しかし、楽しむことができたのは最初のわずかな間だけだった。部屋の中は“涼しい”を通り越して“寒い”になり始めた。まるで、冬の富士の山頂か南極の如き、である。寝るな! 寝たら死ぬぞ! ……って、まあ、冬の富士山も南極も知る由もないのだけれど。

 

 冬の富士山や南極がどんなに過酷かは知る機会もないだろうし知りたくもないので横に置いておいて、部屋が大分寒くなったことを気にした様子もなく作業を進める純一君に、私は声をかけようとして、パソコンが置かれた机の上に飛び乗る。

 

 今まで私は純一君がずっと何かの作業をしていると思いこんでいたのだけれど、よくよく見ると純一君は右掌の上に何やら黒い破片を乗せて考え込んでいた。目は空いているのに、視界には何も捉えていないらしく私が正面に座っても全く気付かないほど、思索に耽っているようだった。

 

 そんな純一君を正気に戻したのは、「うわっ! 何これ。寒いよ!」と、いきなり部屋の中に響き渡った女生徒の声だった。その声を聞いた瞬間、純一君は肩を震わせた。はっと我に返った純一君は、今まで見つめていた黒い破片を制服の胸ポケットに滑り込ませた。

 

「……19度って、何よこの設定。設定温度は27度って決まっているのを知らないの」

 

 肩くらいで髪を切りそろえ、青い鞄を肩から下げた女子生徒は、壁を向いて何やら操作している。何だかその顔には見覚えがあるような気がするのだけれど……誰だろう?

 

 天井から吹き下りりてくる風が生温かいものに変わってほっとしながらも、今度は目の前の女子生徒が誰だったのか、すぐここまで出かかっているのに、あと一息出てこない悶々とした嫌な気分が私の胸の中で渦巻いた。それは、げっぷが出そうで出てこないあの感覚に似ている。

 

「……データを復旧することはできるかもしれないけれど、壊した物は直せないし、壊した事実を消すこともできないわ」 

 

 

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