雪の残り【23】


   

「……しまった」

 

 部長さんが振り返り、孝樹君の方を見てニヤッとした。

 

「テレビのニュースとかであるだろ? 裁判所から駈け出して来た奴が紙に書いた『無罪』とかってのを掲げるところ。ああいうの、いっぺんやってみたかったんだよ」

 

 孝樹君は苦笑を返した。

 

「意外だったか?」

 

「え?」

 

「こんなに人が集まっていて。お前……自分が嫌われていると思っていただろう?」

 

「周りに人を寄せ付けなかったのは俺の方ですから……」

 

「確かにな。でも、お前の練習量の膨大さも、ストイックなまでの向上心も……皆、認めているんだぜ。お前が、インターハイの優勝候補ってだけの水泳部員だったら、誰もお前のために協力なんかしなかっただろうよ。皆、お前を助けるために署名運動したり、後輩にあたったりして調べたりして、お前を助けるために奔走していたんだぜ」

 

「……こういうとき、泣いた方がいいんですかね?」

 

 呟くように言った孝樹君の声は微かに震えていた。

 

*     *     *

 

 そして、創成学園高等部は夏休みに突入した。金曜日のことだ。その日のうちに、校内新聞には新しい――記事の誤りを訂正し、調査の結果得られた“真実”が掲載された。孝樹君の名誉を回復する内容だったけれど、その時には部活動で残っている生徒以外は帰宅し、多くの生徒が夏休み明けにこの内容を読むことになった。

 

 それと同時に、事実誤認の記事を書いて生徒の名誉を傷つけたとして陽村愛莉さんが広報部を除名処分となったことも綴られていた。

 

 もっとも、文字の読めない私が、そこに書かれている内容を知ることになるのは、ずっとずっと後のことだった。

 

*     *     *

 

 創成学園高等部が夏休みに突入して数日が過ぎた。休みというからには、学校には誰も来ないのかと思っていたけれど、部活動などで大勢の学生が登校していた。むしろ、授業中という時間がない分、終日騒々しさが続くと言えるかもしれない。

 

 もっともそのおかげで、この学校では長期の休み中でも学食が開いているので、学校が夏休みになったからといって私の食環境が低下することはないのは幸いだった。

 

 私はいつものように学校の敷地内を歩き回った後、体育館の横にたどり着いた。体育館の横はコンクリートで固められた通路になっていて、その向こうは校庭だった。校庭までは数メートルの高さがあり、数段の階段状の段差になっている。その段差に座って応援している生徒が多くいるところをみると、階段兼応援席といった使われ方をしているようだ。

 

 校庭はとても広く、トラックを走っている生徒が大勢いて、さらにその向こうのグラウンドでは、白黒のボールを蹴っては走るスポーツに興じている。

 

 さらに体育館の方でも、ボールが跳ねる音が響いているのが分かる。それらを見ながら、何の気なく呟いた。

 

「人間って、何でこんな暑い日に走り回らないといけないんだろう……」

 

 体育館からは、入れ替わり立ち替わり生徒が出てきては、体育館入口脇の水道から、水を飲んだりかぶったり、タオルを冷やしたりしている。

 

 私は、水がかからず、飛び散る水滴と風の流れを感じられる場所を陣取ってへたり込んだ。暑い。ひんやりしたコンクリートの上を選んだけれど、最初に感じたコンクリートの冷たさは時間が経つにつれて失われ、真上から照りつける太陽の熱が、じりじりと襲い掛かってくる。

 

 ここは昼寝の場所としては適当ではなさそうだ。このままでは、焼き猫になるのも時間の問題。日陰になる裏庭か木々の多い中庭に回ろうかな……と考えた時だった。

 

「ニャーちゃん!」

 

 

 という女子生徒の声が聞こえた。その聞き覚えのある声が若葉さんの声だと気づくのに若干の時間がかかったのは、熱のせいで頭がぼぅっとしていたからだろう。その声の主に思い至る前に、手が伸びてきて、ギュッと抱きすくめられた。ひゃぁっ! 思わず声をあげかける。汗の匂いと香水の匂いが混ざり合った匂いを感じたけれど、別にそれは不快なものではなかった。

 

 

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