雪の残り【21】


   

「出られなくてもいいの? 勝つために一生懸命頑張っているんじゃないの?」

 

「部員が暴力事件を起こして出場辞退する学校もあるし、警察沙汰になるような不祥事を起こしておいて堂々と参加する様な厚顔無恥な学校もある。こうやって査問会を開いて事実関係を確認してから参加・不参加を決めようとしてくれているうちの学校は、よっぽど民主的で公正だよ」

 

 私には民主主義も公正もよくわからないけれど、孝樹君の態度には少なからず不快を覚えた。私が何を言いたいのか、すぐに察したらしく、孝樹君は自嘲めいた笑みを浮かべる。

 

「徒労って言葉を知っているか? 俺はずっと努力して準備をしていたことが、ほんの一瞬で何もかも無駄になってしまう現実があることを知っている。まるで、神の見えざる手に導かれるように。努力はする。でも、その成果は求めない」

 

「あなたは、それでいいかもしれないけれど、あなたのことを心配して走り回ってくれた人だっているんだからね。若葉さんと、純一君は、孝樹君のために目撃者探ししていたんだから」

 

 別に、若葉さんの「言わないで」という言葉を忘れていたわけではないけれど、言わなければいけない、と思ったのだ。

 

「若葉が?」

 

 孝樹君が上げた声の中から、何らかの感情を見つけることは出来なかったけれど、冷たく拒絶するような声でもなかったように思う。

 

「名城」

 

 不意に横から声がしたので私は口をつぐんだ。それ以上話すことができなかったので、孝樹君がどのような感想を抱いたのかを聞き出すことは叶わなかった。

 

「部長……」

 

 孝樹君に部長と呼ばれた男子生徒は、背は孝樹君よりやや低く見えるが、がっちりした本格的にスポーツをしていることがわかる体格をしている。色黒で、見た感じ豪快そうな御仁である。

 

 孝樹君は抱き上げていた私を、自分の膝の上に置いてから小さく会釈した。

 

「今、どうなっている?」

 

「陽村が今は事実関係を説明しています」

 

「そうか」

 

 部長さんは廊下の窓枠に腰掛けた。

 

「なぁ、名城。こんな時に言うようなことじゃないと思うけれど……。お前……何のために泳いでいるんだ」

 

「そこに、水があるから、じゃダメですか?」

 

 孝樹君はそう答えてから、「本当に今聞くようなことじゃないですね」と付け加えた。

 

「泳ぐ理由を言葉にしろ……なんて聞いた俺が馬鹿だったかな」

 

「物心ついた頃から小児喘息がひどくて、その改善にと薦められて始めた水泳の止め時がわからずにそのままずるずる続けてしまっただけですから」

 

 ちょうどその時、ガラガラという音を立てて、生徒指導室の扉が開いくと、中から出てきた愛莉さんが生徒指導室の中に小さく頭を下げて扉を閉めた。

 

 今日は彼女のトレードマークのデジカメは首から下げられていなかった。

 

「声をかけられたら、中に入って、てさ」

 

 愛莉さんはしれっとした顔でそれだけを言うと、後は何を言うでもなくは右向け右ですたすたと私が通ってきた方向に向かって行ってしまった。

 

「なんだあの態度」

 

 部長さんが憮然としたように呟いた。ちなみに憮然とは「失望・落胆してどうすることもできないでいるさま」「意外なことに驚きあきれているさま」を指す言葉らしい(出典:デジタル大辞泉)。「腹を立てる」という意味ではないそうだ。

 

 部長さんは、正しい意味で憮然としているように見えた。今の愛莉さんの態度は、部長さんにとっては意外だったのだろう。少しぐらい、孝樹君たちに迷惑をかけたという感情があってもいいんじゃないか……私はそう思い、部長さんもそう感じたのだと思った。

 

 孝樹君は、歩いていく愛莉さんの後ろ姿を――腰まで伸びたストレートの黒髪が左右に揺れながら遠ざかって行くのを、しばらく眺めていたが、

 

「部長、これ預かっといてもらえますか」

 

 

 私を両手で持ち直すと部長さんに差し出した。

 

 

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