雪の残り【20】


   

「純一君!」

 

 メモリーカードの価値はよく分からなかったけれど、彼の行動の意味は分かった。思わず声を発してしまった私の鼻の頭に生温かい水滴がかかった。

 

 いや、その独特の臭いは水滴ではない。血の臭いだ。割れたメモリーカードの端で切ったのだろう、純一君の指先から滴り落ちてきた血の雫だった。

 

「帰ろう……」

 

 純一君の疲れきったような呟きに、私は何も言えなかった。彼の指先からはまだぽたり、ぽたりと赤い血が零れ続けていたけれど、この暗闇の中では、いくら私の眼でもその血の赤を認識することはできなかった。

 

*     *     *

 

 一夜明け、終業式の日を迎えた。私は体育館横の水飲み場で、何度か聞いたことがあるこの学校の校歌が流れてくるのを聞いていたり、校長先生の意外に簡潔な挨拶を聞いたりしながら、式が終わるのを待っていた。

 

 この後のことについて、当事者たちはどのような気持ちで今を迎えているのだろう。

 

 やがて、がやがやと生徒たちが出てくる。私は、知った顔を探そうとしてすぐに諦めた。とにかく人が多すぎる。しかし、どんなにたくさんの人がいても、人の流れはいずれは途切れる。川の流れと違って、その流れは有限なのだ。

 

 生徒が全員いなくなって静かになった約3000人の全校生徒を収容できる巨大な体育館の扉が、屈強そうな教師によって閉められた。

 

 しばらくの間校内は静かだったが、やがてチャイムが鳴り、生徒たちが下校の準備を始めると、たちまち賑やかになった。

 

 私は6つある生徒用出入り口の1つで待っていた。出入り口の上にコンクリートの突き出しが設置してあるので、私はその上でうずくまっていた。

 

 なかなか目的の人物が見つからずに、本当にここの出入り口でよかっただろうかと迷い始めた私の前に、ようやく探していた人物が出てきたので私はひらりと飛び降りた。

 

「純一君」

 

「人前でしゃべるなよ。……また、腹話術の人形にされるぞ」

 

 押し殺した不機嫌そうな声に、私もちょっとだけ機嫌の悪い声で返した。もちろん純一君ににだけ聞こえる程度の小さい声だ。

 

「……孝樹君の方はいいの?」

 

「僕には関係ない」

 

 純一君はそっけなく言ってから小さくため息をついた。「何を怒っているのよ……」と思わず言いかけた私に、本人にも不愉快な空気を振り前いている自覚はあったらしく「悪い」と小声で謝罪した。

 

「残雪にまで八つ当たりするなんて最低だな。……名城なら生徒指導室だよ。そこで、最後に両者の言い分を聞いて、最終決定をするそうだ」

 

 生徒指導室は教務棟の3階だよ……そう言い残すと、純一君ははそのまま帰ってしまった。文字を読むことはできないけれど、教務棟と言われただけでどの建物か分かるくらいに私はこの学校のことは熟知しているつもりだ。だから当然、校舎に上がる前に足ふきのマットでしっかりと汚れを落とした。これをちゃんとやらないと、出入り禁止にされてしまう。

 

 教務棟に入る渡り廊下を抜け、教務棟に入ってすぐの階段を3階に上がり、さらに色々な部屋の前を通って逆端の部屋が生徒指導室だった。その部屋がそうだと気付いたのは、出入り口の上にかけられた表示のおかげではない。部屋の前の廊下には、パイプ椅子が並べられており、腰掛けた孝樹君の姿があったからだった。

 

 「よぉ、何しにきた」

 

  椅子に腰掛けたままで、孝樹君が私に手を伸ばしてきたので、私は彼の掌に近付いていって、その中に収まった。「にゃおん」と私は一声泣いてから辺りを素早く見回すと、幸い人の姿はなかった。

 

「……どうなりそう」

 

「なるように、なるさ。出られなくなったらそれまで」

 

 

 孝樹君は少し投げやりな口調だったけれど、さっきの純一君のように不機嫌からくるものではなく、かといっても諦観とも違うような気がする。「なるようになる」は、ひょっとしたら孝樹君の本心かもしれない。

 

 

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