雪の残り【15】


  

 

  ようやく手を離したのは、ダメ押しの一言を追加してからだった。自由になった3人は、脱兎のごとく逃げ出した。転びそうになりながら、半泣きの悲鳴を上げて走り去る3人を見ながら、逃げるウサギを見たことはないけれど、あそこまでみっともない逃げ方をすることはないだろうと勝手に想像して、今まで自分がやられていたことも忘れて気の毒に思った。


「ったく。やっていいことと悪いことの区別がつかないのか」


 私の耳に、孝樹君の声が聞こえてきた。私の前にしゃがみこむと、踏み固められら砂の中に手を突っ込んでちょっと力を込めて私を砂場から引きずり出した。


 ようやく自由になった……とほっとしながら、孝樹君の顔を覗き込むと、笑ってはいなかったけれどさっきの射殺すような目つきではなくなっていた。


 そのまま、私は抱きかかえられた。私の体についた砂がぱらぱらと落ちて孝樹君のトレーナーを汚したけれど、気にした様子もなかった。


「ねえ。お兄ちゃん。ネコちゃん、大丈夫だったの?」


 という声がして、5人の小さな子供が集まってきていた。先程まで砂場にいた子供たちだと、すぐに気がついた。孝樹君に声をかけたのは、おさげ髪の(多分)女の子だった。


「ああ。もう大丈夫だ」


 孝樹君はそう笑ってみせると、子供たちも嬉しそうに「良かった」と歓声を上げてくれる。


「お兄ちゃん。カッコイイ! まるで正義のヒーローみたい」

 

 孝樹君は子供たちの素直な称賛の声に相当戸惑っているようだったけれど、


「君たちが俺を呼びに来てくれたから、俺はここにいるんだ。俺がヒーローだって言うのなら、君たちだって立派なヒーローだよ」


 孝樹君は私を左手で抱えたまま、トレーナーの裾で右手についた砂を払うと、彼らの頭を一人一人撫でた。


 誰もが見て見ぬふりをしている中、この子たちは私を助けるために行動してくれていたのだ。私を助けられる人を探してくれていたのだ。たまたま、そこに孝樹君がいたのは、天の配剤としか思えない。私は再び目頭が熱くなるのを感じた。

 

「じゃ、俺はこのネコを連れていくから」


 孝樹君は、子供たちに「じゃあな」と手を振って私を抱え直した。じゃーねー、という子供たちの声を聞きながら、孝樹君はぽつりと呟く。


「これだから、子供は苦手だ。むき出しの感情をそのままぶつけられたら、どうしていいのか分からない」


 そんなことを言いながらも、照れたようなまんざらでもないような表情をしている。


「さて、隅の洗い場で砂を落として、学校まで一緒に帰ろう」


 孝樹君の言葉に応じて、私の口から「うん、ありがとうね」と、素直な感謝の言葉が無意識のうちにポロリとこぼれた。スン、と再び鼻をすすってから、私はしまった! と気付いたが時すでに遅し。出てしまった言葉は口の中には戻せない。


 聞こえていませんように、と祈りながら孝樹君の顔を覗き込むと、彼にしては珍しいまん丸にした目が、今度は祈りが届かなかったことを示していた。

 

*     *     *


 あれから2日が過ぎた月曜日の昼。相変わらず中庭で、餌入れの中の甘く味付けされたハンバークを頬張りつつ隣に座った純一君と、公園での一件を話していた。


「ばれた? よりによって名城孝樹に?」


「う、うん」


「いや、よりによってほどでもないか。あいつは、口は固そうだし」


「うん。そうだね」

 

 公園の水道で体中に着いた砂を洗い流しながら、うにっと口を開かされて、「喉がどうなっているのか開いて見てみたいもんだなぁ」などという物騒なことを言われたことはとりあえずなかったことにしよう。

 

 私は、話しながら別のことを考えていた。それは、ほんの数日前、裏庭で見かけた孝樹君と若葉さんのことだ。

 

 若葉さんをあれほど冷たく拒絶した孝樹君と、私を助けてくれた孝樹君とがどうしても重ならない。人がいくつもの顔を持っているということは分かるけれど、あまりに極端に思え、あれが本当に同じ人間なのかと疑いたくもなる。

 

 私は泣いている若葉さんを思い出していた。

 

 

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