面倒くさいなぁ……という、内心の感情を押さえながら、背広姿の男は「次の方」と声をかけた。入ってきたのは、やや小太りの大学3回生の男子生徒だった。美人の女生徒なら仕事にも身が入ろうというものなのに。さっさと切り上げてしまおうと思いながらファイルのレポートに目を落とした。
男は、人材育成コンサルタント会社の人財力診断士なる仕事をしている。人財力……聞き慣れない言葉だろうし、誤植でもない。企業からしてみれば、人は財産である。しかし、人にせよ物にせよ、最も適したところに最も適した形で配置してこそ意味があるのだ。彼の会社は長年に渡る人材育成業務を通じて蓄積したノウハウを生かして企業や学校などにアドバイスを与えることを仕事としていた。
今日は、とある大学に招かれ生徒たちの適格検査の結果を伝えることになっていた。もっとも、大学の3回生といえば20歳を超えているのが普通だ。そんな年齢になったら大抵の奴は自分のやりたいこと、自分に適したことが見えてなければおかしい。今更適格検査を受けるような人間は、男に言わせればただのグズだった。
普通の神経をしていたなら、恥ずかしくて、こんなところに顔など出せない、と内心では入室してくる学生たちを嘲笑しながら、仕事は仕事だと説明を続けていた。
そして、目の前の男子生徒にも、今日、何度となく行った説明を再び一から始めた。
「人間というのは、自分のことが分からない生き物です。誰しも、自分の能力が一番生かされる道を選びたいと思うものですし、自分に適性のある道を選んだ方が仕事でも勉強でも意欲を持ってのぞめるというものです。ところが、現実にはそうでない人間の方が圧倒的に多いの実際のところです。どれだけの人間が、意欲や関心のない勉強をしているのでしょう? どれだけの人間が、自分の今している仕事を、生涯の天職だと思っているのでしょう? 弊社で行っている適格診断は性格をはじめ、興味や関心、成績や運動神経、遺伝子解析、手相や名前の字画、などなど、数百項目から総合的に判断した、将来にとって最善の道を導き出してくれるシステムなのです」
男は言いながら、男子生徒の顔を覗き込んだ。座って向かい合っていると、身長があってやや大柄に見えるが、大型といっても筋肉質で鍛えているというはわけではなく、身長があり小太りなだけで、企業からすればもっとも採用したくないタイプの体型である。
さらに覇気のない顔をしているのも致命傷だ。面接では、そういうところは必ず見られる。ボーっとしていて、私の説明にも、分かっているのかいないのか、「はぁ」とか「まぁ」といった曖昧な返事を返す。
男はだんだん苛立ってきた。
ファイルにあるレポートでは成績は中の中。運動能力は下の上。勉学や体力面でのアピールポイントは、はっきり言って無いに等しい。
男は総合評価の欄を読みながら、言う。
「……性格はどちらかといえば真面目。ただしこれは、生来の気弱さから来るだけ。協調性が低く、他人と共同で何かをする能力は極端に低い。空気を読む能力が極端に低く、他人が求めていることを察知するということがほとんどできない。コミュニケーション能力も低く、他人と1分以上話すことが極端に苦手。……会社では、言われたことしかできない上に、指示を積極的に貰おうともせずに嫌われる典型だな」
男が嫌みを込めて吐き出した言葉にも、彼は大柄の体を縮こませて、「はあ」と蚊の鳴くような声を返したのみだった。
男の我慢の限界はそこまでだった。ファイルをばんっ! と閉じると、本音で話すことにした。
「君は、世の中100人に1人くらいはいる、典型的などうしようもないダメ人間だな。やる気も意欲も覇気も才気もないから、何を目指してもまず成功しない。対人スキルが極端に低いから、仲間ともうまくやれない。よくまぁ、君、今まで安穏と生きてこられたもんだなっ!」
さすがに男の言葉には、内向的かつ消極的が売りの彼もカチンと来たようだった。両ひざの上に置いた拳がぶるぶると震え、見る見るうちに彼の顔が紅潮していくのが見て取れるが、男は構わず言葉を進めた。
「1つだけ、かなり高い数値があるぞ。何のデータかわかるかい? 犯罪性向の項目だよ。君みたいなタイプはつまり、何もできないくせにプライドだけが高くて、欠点を指摘されると激高する……おい、話の途中だぞ。何を立ち上がっているんだ! おい、止めろ! 止めるんだ! 止めてくれ!」
* * *
数日後、この人財力診断士が務める――務めていた会社のオフィスで社員たちが話していた。
「○○さんが、学生とトラブルを起こして首を絞められたって聞いた?」
「あいつは、短気な上にすぐに人を小馬鹿にして見下すから、ああいうのが向いていないのは俺らからすれば分かっていたんだよ。あんな人間に、あんな仕事を任せた上層部の適格検査こそやってみたいものだね」
そう言って、彼らはひとしきり大笑いする。
「まぁ、適格審査だの何だのと言ってみたところで、同僚とか、身近な人間が下す評価こそが、本当に正しい結果を教えてくれるものなんだよ」
* * *
そんな笑い声が響くオフィスの上の階に社長室がある。社長室といっても、無駄が嫌いな社長の方針で小ざっぱりしたものだ。社長は、この部屋でいつものように下から上がってくる様々な書類に目を通しては判を押していた。
そこに、ノックの音が響いた。社長は「入りたまえ」と、書類に判を押す手を止めることなく声をかけた。
入ってきたのは、人事担当の40過ぎの男だった。社長の机の前に歩み寄った人事担当者は、一礼して報告を始めた。
「○○は、昨日付で辞表を提出しました」
「ま、学生とトラブルを起こしたのだから当然だな」
人事担当者に目を向けることはなかったが、とりあえず言葉だけは返す社長。しかし、その報告に対して、何の興味もなく、何の感慨も湧いていなかった。
「大学側からも、この件は内密にしてほしいと言ってきておりますので、事件が外部に漏れる恐れはないでしょう」
「ふむ」
社長はようやく書類に判を押す手を止めて、酷薄な笑みを浮かべた。
「人材育成と言ってみたところで、かつては個々人のスキルに頼らなければならなかったものでも今ではコンピューターが何でもやってくれる。おかげで、人材などという言葉は、もうすぐ死語になるだろう。我が社も然りだよ。しかし、人を切るにはそれなりに大義名分がいる」
「だから、適格検査で不適格と判断された場所に配置すれば、自然と辞めざるを得なくなる……自明ですね」
人事担当者はそう言って、泣いているとも笑っているともつかない表情を浮かべた。
「出来れば月末までにもう一人切りたい。さっさと辞めさせられて、なおかつ我が社へのダメージが少ない人間の選考と、配置を決めてくれ。君の腕の見せ所だぞ」
「分かり……ました」
社長に、人事担当者は震える声で応えると、一礼して回れ右をすると社長室の扉を開けた。
社長は、部屋を出て行く人事担当者の肩を落とした背中を目で追いながら(次はあいつかな……)と考えていた。元来、人情に厚い男なのだ。そんな男が人を陥れるような職務にそう長く耐えられるはずがない。もちろん適格検査の結果も人事担当は不適格だった。
社長はおもむろに引き出しを開けると一通の封筒を取り出し、中から一枚の紙を抜きだした。
そこには適格審査の結果をお知らせしますという文言と社長の名前が書いてあった。そして、その下には『社長職――適格』と記されていた。
社長はふんと鼻で笑うと、適格審査の結果の紙を握りつぶして、部屋の隅のごみ入れに投げ込んだ。
《fin》
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