聖夜の枕元


「サンタを信じていたのは、いつ頃までだったと思う?」

 

 ふいに耳の中にそんな問いが蘇ってきた。昼間、会社で同僚と話している時に出てきたものだった。

 

 何で、こんな時に思い出すかなぁ。

 

 僕は苦笑しながら、寒さをこらえコートの襟元をぎゅっと握って押さえながら、彼女との待ち合わせ場所の、駅前に設置された高いクリスマスツリーを見上げた。

 

 今日はクリスマスイブである。

 

 市内での待ち合わせの場所の定番でもある駅前のクリスマスツリーの下はカップルで賑わっていた。同時に、待ち人を待つ人たちの姿も散見される。

 

 先日入籍したばかりの妻を待つ僕もその一人だ。役場に書類を出しただけで式も挙げていないためか、今でも家族になった実感がわかない。今でも、妻とか嫁、というよりは彼女の感覚でいた。

 

 僕は、決して良いとは言えない雲に覆われた空を見上げた。今日は朝からずっと、降りそうで降らない天気が続いていた。

 

 冬の早い日の入りと、雲に覆われた空のせいで、辺りは墨で塗りつぶしたような暗さだが、そのおかげでクリスマスツリーや駅前商店街に飾られた色とりどりの電飾の光が、鮮やかに映えていた。

 

「……傘を用意した方がいいかな」

 

 銀色の腕時計を見ながら僕は呟く。時間はまだ約束より少し早かった。駅前にあるコンビニに行って、ビニール傘を買って戻ってくるくらいの時間は十分にある。しかし、もう少し様子を見ようと思い直した。こんな日に、ビニール傘を持って歩くのも気が引けるし、彼女が行きたいと言っていたレストランの前にも確かコンビニがあったはずだ。

 

 僕は、羽織っている安物だが温かい紺のロングコートの裾を引っ張って腕時計をしまう。その時に、もう一回腕時計を見直してしまったのは、冒頭の問いを思い出していたからだろう。これは、母と父からのプレゼントだった。5年前に大学を卒業して就職した時に、就職祝いとして買ってくれた、それなりに高価なものだった。

 

 僕はもう一回クリスマスツリーを見上げた。

 

「サンタクロースか……」

 

 辺りには、カップルのほかに、商店街の有志が扮したサンタクロースの姿もちらほら見える。一旦、思いだした質問が、なぜか容易に頭から離れてくれない。

 

 僕は同僚に、「物心ついた時には信じていなかったと思う」と答えた。だってそうじゃないか? サンタが実在するなら、あれほど不公平な存在はいない。

 

 僕はクリスマスイブの翌日に友人たちとクリスマスプレゼントの話題で盛り上がることができないのが嫌だった。別に、クリスマスの朝、枕元に何も置いていなかったわけではない。

 

 しかし、それが……。

 

 記憶にある一番古いクリスマスプレゼントは、お菓子の詰め合わせだった。ボール紙製の赤い靴下にチョコやスナック菓子やらが入っていて、スーパーに並んでいるのが容易に想像できる代物だった。値段は、300円ということはないだろうが、500円以上1000円未満といったところか。

 

 友達が、ゲームをもらった、プラモデルをもらった、ぬいぐるみをもらった、と言っている横で、もらったのがお菓子の詰め合わせとは言いづらかった。

 

 一番古いクリスマスプレゼントというのは少し違う。翌年も、その翌年も、貰った物のサイズに変わりはあれど、お菓子の詰め合わせという状況に何の変わりもなかった。我が家に来るサンタクロースは、子供には菓子をやっておけば喜ぶと思っているような偏見に凝り固まったサンタクロースだったのだろう。

 

 最後にプレゼントを貰ったのは……小学校の2年生か、3年生かは忘れたが、さすがに毎年、僕がプレゼントを開けるたびに落胆の色を見せるから少しは考え直したのか、その年のクリスマスの朝には枕元に一枚の封筒が置かれていた。封を開いてみると中からは図書券が出てきた。2000円分だった。その図書券で私は恐竜の図鑑を買った。どういうわけだか漫画などを買ってはいけないような気がしたのを覚えている。その年は、友人たちには、もらったプレゼントは恐竜の図鑑だと言った。少なくとも、その頃には、サンタクロースが両親だということにしっかり気付いていた。

 

 両親は、多分今でも気付いていないのだろうが、僕にとっては重要なのは金額の多寡ではなかった。……なかったつもりだ。

 

 僕には貰ったプレゼントから“何も”感じることができなかったのだ。同じ値段のものを、同じスーパーから買うにしても、キャラ物のタオルとか、もっと選択肢はあるはずなのだ。

 

 しかし、クリスマスの朝、僕の枕元に置かれた物からは、両親が……いや、サンタクロースがでもいいが……この子はこれなら喜ぶだろう、こういうものが好きだろうと、あーでもない、こーでもないと選んでいる姿が、全く想像できなかったのだ。それが不満であると同時に、自分への愛情の欠如の証拠だとさえ思っていた……。

 

 しかし、今にして思えば、そんなふうに考えるのは贅沢というものだったのだろう。クリスマスにはケーキが用意されていたし、小学校低学年のころは小さいクリスマスツリーが用意されていた。

 

 僕は、駅前の巨大なクリスマスツリーを見上げながら、実際には……と、思った。

 

 ただ、両親はプレゼントを選ぶということがとにかく不得手な上に、それを貰った人間の心情を考えるということにトコトン無頓着だったというだけのことだ。僕が今つけている腕時計のように、入学・卒業の祝いはちゃんと貰っていたし、正月のお年玉だって毎年貰っていたわけだし。

 

 そう思えるようになったのは、成長して両親をそれなりに理解できるようになったからだろう。

 

 と、その時、静寂と喧騒が入り混じった駅前に、女の子の泣き声が響き渡った。僕がそちらの方に目を向けると、小さな女の子が、母親らしい女性の脚にすがりついて泣いているのが見えた。

 

 その脇で、赤いサンタクロースの衣装をまとった男性(だと思う)が、困ったようにペコペコとしていた。白い髭をつけているが、猫背になったその姿勢は、若い男性のように思った。その手には、空に向かって上がっていこうとする風船を繋いだ細い紐が握られていた。

 

 ボランティアかアルバイトかは知らないが、子供に声をかけて風船をあげようとしたが、その異様な風体に怯えた子供が泣き出してしまったのだろう。

 

 僕は気の毒に、と、子供にもサンタクロースにも同情する。残念ながら、差し出した好意を誰しもが素直に受け取ってくれるわけではないのだ。

 

 かつての僕がそうであったように。

 

 そして、今度は僕の側が、誰かに与えようとした好意を汲んでもらえない側になってしまう経験を何度もした。これまでもそうだったし、もちろんこれからもそうなのだ。

 

 僕にとってのクリスマスイブとは、つまりは、そういうことを否応なく再確認させられてしまう日なのだった。

 

「お待たせ!」

 

 その時、彼女の声が僕の耳に入ってきた。僕は、声をした方を向いて、白いコート姿の彼女を見つけて「よぉ」と、片手をあげて応じた。

 

 彼女は小走りに駆け寄ってくる。

 

「遅かったな。仕事が押していたのか」

 

「うん。ちょっとね。こんな日くらいは、係長も少し考えてくれればいいのに」

 

 黒く長い髪の彼女はそう言って笑みを見せた。僕は、赤い唇から一瞬覗いた白い歯にドキリとした。

 

「あんまり、走るなよ」

 

「大丈夫だよ。転んだりしないように、踵の高い靴を履いてないし」

 

 確かに、いつものお気に入りの赤いハイヒールではなかった。しかし、なるべくなら今くらいは滑りにくいスニーカーを履いていてほしいと思う。

 

 とりあえず、僕は当初からの予定を口にした。

 

「さて。じゃ、何か食べに行こうか」

 

「うん。あ、そうだ、後でDVDを借りに行こうよ」

 

「ん? 何か見たいのでもあるのか」

 

「昼間、ちょっと話題に上ってさあ」

 

 彼女が口にしたタイトルに、僕は思わず吹き出した。それは、2年くらい前に大ヒットしたホラー映画だった。クリスマスイブに、そんな映画を見たいと言い出すあたりは、彼女らしい。

 

「じゃ、帰りに寄って行こうか」

 

 僕たちは自然に手をつないで歩きだす。

 

「けどなぁ……」

 

「ん? 何?」

 

「胎教にはよくないんじゃないか?」

 

 僕は、彼女のお腹に目を下ろした。まだ4カ月で、外見上はそうは見えないが、彼女は立派な(?)妊婦さんなのだ。

 

「大丈夫よ」

 

 とにっこり笑って彼女は言った。

 

「生まれて来たらお腹の中にいた時のことなんか関係ないくらいに、しっかり愛情を注いであげるんだから」

 

 そういった彼女の顔を、僕はなぜか母の顔と重ねていた。母もきっと、愛情を注いでいるつもりでいたのだろう。全く正反対に僕が受け取っていたなどとは気付かずに。

 

 親になるというのは、つまり素直に受け取ってもらえない好意を、常に与え続けなければならないということなのかもしれない。まぁ、そうでない家庭もたくさんあるだろうけれど。

 

 でも、それでいいと思う。

 

 それが当たり前なのだと思う。

 

 きっと、世の親たちは、それを当然のものとして甘受しているのだろう。

 

 僕が不安になったり、不満を感じたって仕方ない。親になる責任は痛感しているものの、どうにかなるさと楽観的に考えている自分がいるのは、クリスマスイブの、冷たいながらも浮かれた空気の中にいるからなんなのだろうか? 彼女の柔らかい手の温もりを感じているからだろうか?

 

 僕は、彼女の手を強く握った。彼女は「何よ?」と怪訝そうな顔を僕に向けながらも、強くその手を握り返してきた。

 

 ふと、気がつくとちらちらと雪が降り始めていた。「わぁ」と彼女が声を上げた。彼女の口からこぼれた白い息が、ふっと虚空へ吸い込まれていく。僕も同じように空を見上げた。今日ばかりは、雪空も悪くない。

 

 ホワイトクリスマスを、天からの贈り物だと思えるような年齢はとっくに過ぎてしまっているけれど、今日ばかりは、神様の粋なプレゼントだと思うことにした。 

 

≪fin≫

  

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