広い広い宇宙にはたくさんの知的生命体がいて、地球にやってきている知的生命体も数多く存在しています。彼らの多くは実は地球人に好意的で、しかし、外見が地球人たちと待ったう違っており、優れたテクノロジーを持っているので、地球人たちを怖がらせることになると思って、これまでは姿を隠していたそうです。
しかし、地球は200年にも満たない間に優れた進化を遂げ、宇宙にまで進出し、人々はインターネットやケータイを使いこなし、当たり前のように車を運転しています。人間の、優れた適応能力を目の当たりにした地球外知的生命体たちは、20XX年、とうとう地球人の前に姿を現しました。
それはせいぜい5年ほど前の出来事で、当時私はまだランドセルを背負っていました。
地球外知的生命体の姿は多種多様で、初めて目の当たりにした人たちは驚きましたが、小説や漫画で表現されていた宇宙人の姿と大差のないものだったので、人々はすんなり受け入れました。
政府は、いきなり大量の地球外知的生命体が地球にやって来て混乱するのを避けるために、少量ずつで地球に入ることを許可しました。地球外知的生命体を統括する組織も、地球を混乱させる意図はないとして、まず、地球で言うところの知識人を地球に入れて、相互理解を深めるところから始めることにしました。
それと同時に、草の根運動の一環として、地球外知的生命体のホームステイが始められることになりました。
* * *
関東の海沿いの町に住む私の家にも、春から蛸(たこ)のような宇宙人のピックがホームステイしています。ウェルズの小説に出てくる宇宙人そっくりで、直径1センチほどの細長い触手のような形状の足は8本ではなく16本あり、それぞれ手として、足としての機能を持っています。指の機能はなく、指が必要な時は何本か束にして指のように使いますが、軽い物を持つ時は、一本だけをぐるっと巻いて持ちあげます。最初は蛇のようであんまり気分のいいものではありませんでしたが、すぐに慣れてしまいました。
私の家の東側はすぐに太平洋で、朝起きて窓を開けたら潮風を感じられるこの景色は、私にとってのお気に入りでしたが、ピックもすぐに気に入ってくれたようでした。ピックの母星にも海はありますが、海で遊ぶ習慣はないと言うので、もうすぐ海開きですし、一緒に行ってみようと思っています。
ホームステイをすると、お互いカルチャーショックを受けることがたくさんあります。しかし、ピックは、地球に来る前に色々勉強していたらしく、アニメを見たり史跡を見たりしてもなかなか驚いてくれませんでした。むしろ日常の様々なことで色々な驚きを発見しているようでした。
玄関に驚いていたのは私もびっくりです。ピックの住居には特定の出入り口が無く、生体認証で登録された人と中にいる人が許可した人だけが壁を素通りして中に入れるのだそうです。今でもピックは玄関から家の中に入るという習慣を理解できず、目に着いた窓からも出入りしています。傍から見たら地球外知的生命体の空き巣ですが、まぁ、それは言わない方がよいでしょう。
言葉による意思疎通は全く問題ありません。ピックは、高性能の自動翻訳機を持ってきており、私はごくごく気軽に会話することができました。ピックはとても温厚なので、最近はつい軽口が過ぎたかなと思ってしまうことがあります。地球の日本人同士の会話でも、冗談が冗談として受け取られていない場合もあるのですから、注意は必要です。ピックたちの星にも落語や漫才やコントに類するものがあるそうなので、彼らのジョークについても知っておいた方がいいかもしれないなぁと思う、今日この頃です。
やっぱり困るのは、食事です。ピックたちの消化器官はかなり退化しているそうで、ピックたちの食事はペースト状のものか、カプセル型の栄養剤です。地球の物では、一部のジャムやジュース、味噌だけの味噌汁、具のないスープなどは何とか大丈夫ということでしたが、ほとんどの物を食べることができません。せっかく地球外知的生命体に料理の腕を振るおうと張り切っていたママは大層残念そうにしていました。残念ですが、少し前――春先に私が風邪をひいて寝込んでしまった時に、ピックが間違えて私のカプセルの風邪薬を飲んでしまい、大騒ぎになりました。薬自体は何ともなかったそうなのですが、地球のカプセルとピックたちのカプセルは成分が違うので上手く消化できなかったそうです。そういうことですので、ピックに日本食の味を覚えてもらうのはとても危ないことなのです。
ピックの移動手段は、家の中以外では携帯式の乗り物です。まるで透明な卵のような形状で、ピックがやっと収まるサイズです。残念ながら、私には入れませんでした。それは私が太っているからでは決してありません。断じてそのようなことはありません。
乗り物の後ろには推進装置が付いており、あっという間に何十キロも飛んで行ったり、その場で停止したりできる優れモノです。ピックの紐のような細い足ではすぐに動けなくなってしまい、長時間の移動は苦しいので、子供でもこういう乗り物に乗っているそうです。だから足が退化するんじゃないか、とは言わないでおきました。異文化コミュニケーションとは、相手の文化を否定しないことから始まるのです。
ところで、ピックは写真をとても嫌がります。ピックたちの星には写真に類するものが無いため、カメラのレンズを向けられるのをとても怖がるのです。それは、明治時代に初めてカメラを見た日本人の反応とさして変わるものではないのかもしれません。彼らのように進化した地球外知的生命体でも、迷信を恐れているのには驚きました。ピックがホームステイ期間を終えて母星に帰ってしまったら、写真1枚残らないのは残念ですが、それも仕方ありません。双方の文化に対する理解を深めるのがホームステイの目的ですが、嫌がることを無理強いするのは間違っています。
とはいえ、私たちが考える常識と、ピックたちが考える常識は、かなりずれがあることが多いので、何かをやってもらったり頼んだりする時には注意が必要……というより、頼んだりしてはいけないということを理解するのは大変でした。ピックは、常に私の考えの斜め上を行ってしまいます。
例えば、こんなこともありました。1週間ほど前の話です。
「チカ!」
と私がママに呼ばれた時、私はピックと一緒に、海の見えるリビングで雑誌を読んだり色々お喋りをしていました。リビングは横開きのガラス戸が入ったベランダからお庭に出られるようになっており、その向こうには太平洋が広がっています。
「どうしたの? ママ」
と私が尋ねると、ママは私に青いボードを差し出しました。町内会の回覧板です。
「ごめんね。ちょっとママは手が離せなくて、回覧板をお隣の佐藤さんに届けてほしいのよ」
ママは在宅のお仕事をしていますので、締め切りが近付くと手が離せなくなってしまいます。私は「うん、わかった」と返事をして、回覧板を受け取りました。
「じゃ、よろしくね」
と言い残すと、ママはリビングを出て行ってしまいました。
「ソレハ何デスカ?」
口の中に入れた翻訳機を通してピックが問いかけてきますので、私は回覧板について説明しました。町内会の連絡などをお隣さんに順々に渡していく大切なものです。
ピックは興味津々といった感じで私に言いました。
「ソレハ面白イ仕組ミ、デスネ。ゼヒ、私ニ持ッテ行カセテクダサイ」
「うん。いいよ」
私はピックに回覧板を渡すと、ピックは2本の足で受け取りました。
「お隣の佐藤さんのところだからね」
「オトナリノ、サトウサンデスネ」
ピックはおもむろにリビングのガラス戸を開けました。ピッピッピッと何かを操作する音が聞こえると、例の携帯型の乗り物が現れました。普段は5センチくらいの大きさになっていますが、必要な時は普段のサイズに戻すことができるのです。一体、どんな仕組みで大きくなったり小さくなったりするのか疑問ですが、ピックにも最新テクノロジーの原理はよく分からないそうです。私たちがテレビの中のことを知らなくてもリモコンを操作したり、湯沸かし器のことが分からなくてもお風呂に入れるのと同じことでしょう。
ピックは飛行機――と便宜上呼びますが――に乗り込むと、
「デハ、行ッテマイリマス」
「うん。気をつけてね」
家の前に蛸型地球外知的生命体が出現したら、佐藤さんはびっくりするでしょう。何かあった時のために、ピックが出発したら私も出なければ、と思っていました。
ブーンという微かな駆動音が聞こえ、ビューンと飛び立ちました。私は、飛び立つ瞬間に何が起こったのか分かりませんでした。さっきまで目の前にいたはずのピックの乗った飛行機が、今はすでにボールペンの先で突いた黒丸ほどにしか見えなくなってしまいました。ピックの飛行機は最高速マッハ10にもなるそうです。あんなサイズで、そんな速度を出すには信じられないほどのテクノロジーと、数々の物理法則や自然現象を無視しなければ不可能ですが、とりあえずその辺は考えないようにした方がいいのでしょう。
そんなことを考えていた私は、飛行機が見えなくなった頃になってようやく、ピックがとんでもない勘違いをしていることに気付きました。しかし、ピックに連絡を取る術はありません。
私は、呆然としたままで呟きました。
「ピック……。誰が太平洋を挟んだお隣に届けてって言ったのよ……」
* * *
追記
後で帰ってきたピックに聞いたら地球を一周してお隣さんの佐藤さん宅に行ってきたそうです。他人を非難する時は、ちゃんと確認してからでなければいけませんね。
《fin》
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