明日、世界が滅ぶ


 夜、仕事を終えて帰ってきた私はいつものように夕食をとっていた。30歳の一人暮らしの独身男の夕食などいい加減なもので、歩いて10分のところにあるコンビニの弁当とペットボトルのお茶が置かれていた。

 

 リビングのテレビはつけっぱなしだった。公共放送をつけていたが、つけたままでテレビには注目していなかったので、何の番組をしているのかさえ気付いていなかった。

 

 不意に、テレビから流れる音の調子が変わり、何だかざわざわしたものに変わった。それに気付いて、視線をテレビのほうに向ける。テレビ画面に映っているのは、報道フロアとかいうニュースを読み上げるところだった。朝のニュース番組で見る中年の男性アナウンサーが映し出されていた。

 

「番組の途中ですが、臨時ニュースを放送します」

 

 テレビ画面の向こう側からアナウンサーが硬い表情で視聴者に語りかけた。いつも四角四面なアナウンサーだったが、今日は輪をかけて口調が重い。それを見ていた一視聴者である私も、これは何かとんでもないことがあったな、と思った。

 

「これから、国民の皆様へ、首相から重大なお知らせがあります。どうか、チャンネルはこのままにして、近くに人がおられましたら、テレビを見るようにお誘いくださるようにお願いします」

 

 映像が切り替わった。画面の右隅に生中継と映し出され、首相官邸の記者会見室が映し出された。壇上にはまだ誰も上がっていなかったが、記者たちが集まり、スタッフが慌しく走り回っている様子が映し出されていた。

 

 やがて、テレビ画面に野武士を思わせる風貌の総理大臣が現れ、記者会見が始まった。厳つい容姿とは裏腹に温厚な人物で知られ、いつでも悠然と構えて答弁をするその姿から国民の信頼は厚い。そのいつもの総理大臣らしい悠然とした態度で話し始めた。

 

 しかし、テレビ越しとはいえ、その青ざめた顔色は隠し切れていなかった。

 

「我々は、重大な危機に直面いたしました」

 

 と、総理大臣は落ち着いた低い声で話し始めた。

 

「現在、地球に直径100km以上の大型の小惑星が接近しております。航空宇宙局の算出では・・・・・・7日後の日本時間で午前9時12分。インド洋上に落下します」

 

 テレビを見ていた私も驚きを隠せなかった。そんな話はテレビも新聞もネットでも誰もしていなかったではないか。

 

 しかし、私はこの時はまだ、「へー、そんなに正確に算出できるんだ」くらいにしか思っていなかった。生まれて30年。地震があろうと戦争があろうと、クライシスなんてものは、テレビの向こう側のそれだった。

 

「小惑星の存在が確認されてから、世界各国の首脳が集まり、極秘裏に核ミサイルによる軌道変更を試みましたが、成功には至りませんでした。様々な手段を考案し、実行に移しましたが、そのことごとくが失敗に終わりました。小惑星の軌道を変えるのは不可能。地球への衝突は不可避。これが我々が出した結論であり、この小惑星が衝突した場合の破壊力はK-T境界の時代に恐竜を絶滅させたとされる隕石落下の比ではなく、地球上のあらゆる生命に生存の余地はないと推定されています」

 

 一息に話し尽くし、ゆっくりと顔を上げた総理のその顔は、いつものものだった。

 

「どうか国民の皆様に置かれましては、最後の瞬間まで、平静を保ち、いつも通りの日常をお過ごしいただきますよう・・・・・・お願いいたします」

 

*     *     *

 

 人類絶滅まで1週間。その話が流れたとき、誰もが信じることはできなかった。しかし、公共放送が政府の首脳まで使ってするドッキリにしては盛大すぎた。

 

 これは事実なのだ・・・・・・国民がそれを理解し、受け入れるのに、約2日間の時間が必要だった。

 

*     *     *

 

 そして3日目からは不思議な光景が私の目の前に広がった。世界滅亡・・・・・・そんな話を聞いてから私は会社に行く気はなくしてしまっていた。幸い貯金は幾ばくかはある。散財してやろうと思ったのだ。会社も、「来たければ来い。来なければ来なくていい」と言ってきた。

 

 もっとも、金があったからといって誰も働かないだろうから、使い道に困るだろう。食い物だけでもちゃんと手配してくれていたら・・・・・・。そんな心配は杞憂だった。

 

 私のように遊び回ることを選択した人間も多かったようだったが、働いてその日を迎えることを選択した人間も多かったようだった。

 

 私は滅多に行かない歓楽街に行き。飲めない酒を飲み。やったことのない博打をして。普段は行かない風俗にいって。回らない頭で帰宅してぶっ倒れた。

 

 本当にこれでいいのか? そう思ったのは貯金がたった2日でほとんどなくなったからではない。何をやればいいのかわからなくなった私の足は、自然に会社へと向いた。

 

 久しぶりに顔を合わせた会社の同僚は、私の顔を見ても欠勤したことについて特に何も言わなかった。ただ一人だけ私より2つ後輩の男が声をかけてきた。

 

「先輩も、やっぱり調子が出ませんか? 僕も、世界が滅びるなんて話を聞いて、もうどうにでもなれと思って遊び歩いていたんですけれど、慣れないことをするとどうにも気分が悪くて。結局、いつもどおり会社に来て、いつもと同じ一日を過ごす方が気が楽ですよ。少なくとも僕にはそっちの方が性に合ってます」

 

 私は白い清潔な上衣をまとい、マスクをして三角巾を頭に巻き、クリーンルームに入った。体に付いた誇りを落とすための洗浄された空気が強く吹き出された。少し肌寒さを感じながら、私は後輩の言った話を考えた。私は、世界が滅びる日が来るのを、ただいつもと同じように迎えることが納得できなかった。私は、ここに来るほかにすることがあるのではなかろうか。

 

 滅菌室の中で機械部品を作る仕事を私はしている。口も聞かずただ黙々と。休憩の時はマスクも、上衣も脱いで、休憩室で実りのないお喋りをしていた。同僚たちは努めて数日後に迫った世界の終わりを口にしないようにしていた。

 

 私は、同僚たちのそんな態度に少なからず苛立ちを覚えていた。私はあの後輩とは違う。これから死ぬのに、私は自分の人生に仕事しかなかったと思いたくはなかったのだ。

 

 やがて世界が滅びる日は明日に迫っていた。最後の日を、私は会社には出ずに町に出た。

 

 町を歩く。

 

 不思議なくらいいつもと違わない光景があって私は拍子抜けしていた。ラジオも新聞も、いつもと同じくだらないニュースを垂れ流し、バカバカしいバラエティを流している。まだ何話か残っている連続ドラマを、最後まで一挙放送するテレビ局もあった。

 

 ニュースで聞く限りでは、大規模な暴動が起こったという話は出てこなかった。ただ、若い処女を生け贄にすれば助かると嘯《うそぶ》いて信者を扇動した宗教団体の教祖が捕まっていた。

 

 町には不測の事態に備えて警察が機動隊を繰り出して物々しい雰囲気に包まれていた。しかし、町の人たちは拍子抜けするほど普通に日常を過ごしていた。

 

 もめ事に巻き込まれてはたまらないと、家の中で過ごすことを決めた人も多いようだった。人生の最後に人殺しでもしてやろうと考える輩《やから》がいないとは限らないのだ。

 

 近所のレンタルビデオ店は大賑わいだった。最後の一日を好きなドラマとかアニメとかを存分に味わって過ごそうという人たちなのだろう。レジには数人の若い店員がいたが、彼らは談笑するばかりで、勝手に持って行ってくれという態度だった。どうせ返ってこないものだから、通常の処理をするだけ無駄だということなのだろう。

 

 本屋も似たようなものだった。私は前々から読みたかった文庫本を見つけて取り上げた。これから一日かければ一冊読み切れるだろう。しかし、私にはそれが人生の最後にすることとも思えず、手に取りかけた本を棚に返した。  

 

 人生最後なのだ。それなりの過ごしかたがあってもいいではないか。私はそれを探しに電車に乗って隣の、隣の、さらに隣の、もう一つ隣の町に行った。2時間近く何をするでもなく、電車に揺られていた。

 

 私は腹が空いたので、最後の食事にふさわしい、珍しい店はないかと探してみた。初めて行く町で勝手が分からず、しばらくうろうろした末に入ったのは、いつも行く牛丼チェーン店だった。

 

 そこでいつもと同じようなメニューを注文して、いつもと同じように腹の中に詰め込んで、私は店を出る。時間はそろそろ昼から夕方にさしかかろうとしていた。

 

 河原沿いの土手を歩く。ジョギングしている中年の男性とすれ違った。最後の最後だというのに、あなたは何をしているのか? と私は問いたかった。今更、ダイエットなのかマラソンでも走るのかは知らないが、何の意味があるのだろう・・・・・・。

 

 さらに河原沿いを歩いていくと、少年野球の練習からの帰りと思われる子供たちが歩いてきた。泥だらけの服。一緒に歩いている若い男は指導者だろうか。

 

 すれ違うとき、少年の一人が駆けだした。

 

 なぜか私も振り返った。

 

「また明日!」

 

 残った少年たちも手を振って見送る。その光景を見て、私ははじかれたように叫んでいた。

 

「どうして!」

 

 最後なんだ! 明日なんてもうないんだ! やるべきことがあるはずじゃないか? なんで、いつもと同じなんだ!

 

「どうして?」

 

 と指導者の男性が逆に問い返してきた。

 

「明日終わりだというときに、あなたは自分が何をするべきか、探して回っているのですか?」

 

 私は、がん、と金槌で頭を殴られたような気がした。

 

 遊びほうけて死ぬでもなく、いつもの日常を過ごして死ぬでもなく、何のあてもなく、最後にやるべきことがあったんじゃないかと探して回った私の今日一日に、いったい何の価値があったのだろう。

 

 いつの間にか、私の足下の影が長く、あたりは赤く染まっていた。私の最後の一日は、無駄の中で幕を下ろしたのだ。

 

 私は、ゆっくりと落ちていく真っ赤な夕日をただ、眺めていた。

 

 明日、私があの夕日を目にすることは、もうない。 

 

≪fin≫

  

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