彼は屈強な戦士だった。
誰よりも強く、誰よりも勇敢だった。
愛する者の為に戦い、国の為に戦い、仲間の為に血を流すことを厭わなかった。
敵に対しては一切の容赦はせず、不正を働く者に対しては躊躇なく断罪した。
彼は生れてこの方一度しか泣かなかった。
愛する人に先立たれても泣かなかった。
戦場で仲間を失っても泣かなかった。
敬愛する王が崩御しても泣かなかった。
泣いたのは戦場で、死ぬ間際のことだった。
彼に刃をつきたてたのは若い戦士だった。
彼は、老いによって自分の肉体がかつての鋼を失っていたことを知った。
老い衰えた己の身体が哀しくて、泣いた。
死んだ彼は、神様の前に連れて行かれた。
神様は、彼の魂を、魂の行きつく先に送り出そうか、もう一度現世をやり直させようか迷った。
迷ったので、問うた。
「お前は、現世に、悔い残したものはなかったのか?」
と。
彼は応えた。
「ある」
と。
「私は、死ぬまで一度も泣かなかったが、死ぬ間際に泣いてしまった。それが悔しい」
神様は、彼を再び現世に戻した。
彼は大きな鷹に生まれ変わった。
翼を広げ、青い空を雄大に飛び回る彼は空の王者だった。
素早く野兎を狩るその姿は、さながら疾風の如きだった。
しかし、ある日彼の住む山を炎が飲み込んだ。
彼は逃げ遅れて、その大きな翼を広げる間もなく死んだ。
彼は、己の迂闊さを呪い、泣いた。
次に生まれ変わった彼は、オオカミの群れのボスになっていた。
誰よりも強かった彼は、力で群れに君臨した。
沢山のオオカミを引き連れ、風を切って歩く彼には、何も恐ろしいものなどなかった。
何もかもが彼にひれ伏した。
この世の全てが自分の手の中にあるとさえ思った。
しかし、彼の部下だったナンバー2と3と4が突如反旗を翻した。
彼は抵抗むなしく傷だらけになって群れを追いだされて一人寂しく死んだ。
彼は、自分が無敵ではなかったことを知って、泣いた。
次に生まれ変わった彼は、小さな小鳥だった。
彼を飼っていたのは小さな少女だった。
病弱で部屋から出られない少女は、彼を自分の分身のように鳥かごの中で大切に育てた。
何不自由ない生活も唐突に終わりを告げる。
少女は高熱を出して3日間苦しんで死んだ。
少女の両親は、少女の代わりに彼を自由にしようと鳥かごを開けた。
空へと飛び立った彼は、あっという間に他の鳥につかまり餌にされた。
彼は、戦う力を持たない自分が不憫で、泣いた。
次に生まれ変わった彼は、盗賊になっていた。
何人かの仲間とともに、沢山の人の命を奪い、沢山の財宝を奪った極悪人だった。
彼は山の中にアジトを作って潜んでいた。
ふもとの村人は、彼を鬼と呼んで恐れていたが、アジトの正確な場所が分からなかったので役人たちも手を出せずにいた。
ある時、アジトに足に怪我を負った野良犬が迷い込んできた。
彼は、少しだけ可哀そうになって、手当てして放してやった。
数日後、その犬は帰ってきた。
大勢の役人たちを引き連れて。
彼は力の限りに戦ったが、ついに役人の刃にかかって死んだ。
彼は、ほんの僅かに見せた気まぐれの優しさを悔いて、泣いた。
次に生まれ変わった彼は、とら模様の猫になっていた。
彼は、飼い猫だった。
飼い主の女性はお金持ちで大きな屋敷に住んでいて、彼に何の不自由もさせなかった。
彼は、屋敷の中をのびのびと暮らし、与えられる餌を食べて、痛いことも苦しいことも経験することなく、やがて老衰で死んだ。
死ぬ間際に彼は思った。
自分の人生は何だったのだろう、と。
そして、何もなかった自分の薄っぺらい一生が無様で、泣いた。
何度も生まれ変わった彼だったが、神様の前で何度も同じことを言った。
「自分は一度も泣かなかったが、最後に泣いてしまったのが悔いだ、と」
神様は、そのたびに彼を生まれ変わらせた。
次に生まれ変わった時、彼は平凡なサラリーマンだった。
営業で一日外回りをして、疲れて帰ったら見合いで結婚した妻が入れてくれる熱燗と、二人の間に生まれた一人娘の寝顔を見るのが何よりの楽しみだった。
その娘もやがて成長し、反抗期も経験したものの、やがて大学を卒業し、ある会社の事務職で働くようになった。
それからしばらくして、一人の男性を連れてきた。
折り目正しく、好感のもてる青年で、結婚を考えていると言った。
しかし、しばらくして彼は気付いてしまう。
青年は、誠実さの仮面をかぶり、その裏では女を騙して金を巻き上げる卑劣な男だったのだ。
彼は、娘に青年と別れるように説得するが、娘は聞き入れなかった。
だから、彼は、直接青年に会いに行った。
場末の細い裏路地で、直談判は口論になり、やがてもみ合いになった。
彼は青年に突き飛ばされ、コンクリートの路地にしたたかに頭を打ち付けた。
頭が裂けて、どろりと生温かい血が漏れだした。
青年が慌てて逃げていく足音が聞こえたが、彼にはもう立ち上がることも、身体を動かすこともできなかった。
薄れていく意識の中で彼は、残される娘のことを思って、泣いた。
再び彼は神様の前に連れて行かれた。
いつかのように神様は問うた。
「この生涯に、悔いは残っていないか」
と。
後悔ばかりだった。
残してきたものが、あまりにも多すぎた。
いつもはたった一つの後悔であるはずの、死ぬ間際に流した涙のことなどどうでもよかった。
彼は、恥も外聞もなく懇願する。
どうか、どうか、娘の近くに生まれ変わらせてほしい。
娘が幸福になる様を、どうか、最後まで見守らせてほしい。
しかしそれは許されなかった。
それを聞いた神様は、天使たちに、彼の魂を、魂の行きつく先に送るように言ったからだ。
魂の行きつく先へと向かう道の途中で、彼は何度も何度も振り返った。
彼は気付かなかった。
彼は、その長い長い魂の旅の中で、他人の為に初めて涙を流したのだと。
《fin》
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