当たりの相手、外れの相手


 彼――祐二がいなくなって1年が経とうとしていた。1年前も今日のように冬だというのに全く雪がなかった。・・・・・・といっても、この地方では、冬になってもほとんど雪は降らない。冬場は過ごしやすい地域だ。

 

 そんな1年前の私の26歳の誕生日から数日が過ぎたある日に、「煙草を買ってくる」と言って部屋を出て、祐二はいなくなった。その後の消息も足取りも不明。

 

 とはいえ、別に心配などしていなかった。短期のアルバイトをしては稼いだお金をつぎ込んで、思い立ったらどこへともなくぶらりと旅にでる。そして、気がつくといつの間にか戻ってきていて、当たり前のような顔をして食卓を囲んでいる。

 

 つき合いはじめて――いや、お互いにつきあっているという実感はなかったかもしれない。あるいは、単なる同居人? シェアハウスの友人? ただ体を重ねる以外には、交際と呼べるような関係はなかったのかもしれない。いずれにせよ、3年の間、そんな生活が続いた末でのことだったから、警察に捜索願や失踪届を出したり、なんてことも面倒だからしなかった。ちょっと違うのは、それまでは最長で1ヶ月ほどだったのに、今回は年単位になってしまったことか。

 

 3ヶ月くらいまではそのうち戻ってくるだろうと思っていたのが、いつの間にやら半年になり、まぁ地球の上にいればそれでいいやと思い始めた頃に、つきあいの長い美弥子という女友達が、ある男性を紹介してくれた。

 

 美弥子とは高校以来10年にもなるつき合いだけれど、祐二のことを話したことはなかった。話したら「別れなさい。そんな奴」と言われるのは火を見るより明らかだったから。だから美也子は私がずっとフリーだと思っている。

 

「あなたも、26歳でしょ。そろそろ、腰を据えて考えた方がいいんじゃない?」

 

 彼女に言われると、ちょっとだけむっとしたけれど、美弥子はいつだって正しいから反論せずに聞き流しておいた。

 

「あんたはいつだって受け身だからよくないのよ」

 

 というのも、

 

「自分から進んでジョーカーを引きにいってどうするのよ」

 

 というのも、

 

「目の前に当たりとはずれがはっきりしているのに、はずれとわかっている方に首を突っ込むのはあんたくらいよ」

 

 というのも、全て美弥子から私の評。

 

 残念ながら悔しいけれど言われていることは間違っていない。彼女は私が、大学2年の時に、半年ほど講師の先生とつきあっていたことを知っている。妻子のある人だったけれど、私の他にも学内で何人かの女子学生に手を出しているのはある種の公然の秘密だった。最後は捨てられるのがわかっていてその人を好きになって、恋愛して、お決まりのようにぼろぼろにされた。

 

 強い子だったら、大きく騒ぎ立てて相手の家庭を崩壊させたり賠償金を取ったりするのかもしれないけれど、私はそういう人間ではなかった。そういう人間ではなかったから標的にされたのかもしれない。私は壱万円札10枚が入った封筒を受け取って、ただ沈黙した。

 

 そんな私が、そこそこ大きな商社に就職できたのは、出身の大学が相応に名門校だったからだけれど、別にこの大学に入りたかったわけでもない。親が何が何でも入れと言うから一生懸命に勉強しただけのことだった。

 

 だから、今の仕事にさしたる愛着があるわけではない。別に嫌な仕事でもない。とりあえず、無難にこなせているから、私向きの仕事なんだろうと思うだけだ。

 

 一方、美弥子の方はというと、かなり堅実な部類に入る。将来に備えてスキルを磨き、貯蓄は多分私の10倍――たぶんそれ以上はある。少なくとも祐二は私のお金に手を付けるような人ではなかったので、私の貯蓄の少なさは私自身の責だ。颯爽としたキャリアウーマンの美弥子の旦那は10歳年上の第1種国家公務員。いわゆるキャリア官僚だ。うちのダンナは、いっつも忙しくて、なんてたまに愚痴ることはあるけれど、堅実な相手を選んだのだろう。

 

 今回、美弥子が私に紹介すると言ったのは、その旦那の大学時代の後輩で、やはり公務員だという。

 

「2種とはいえ国家公務員だからね。旦那によると、同年代の中で一番の切れ者って評判らしいよ。年齢もあんたより5つほど上なだけだし。こんないい物件はそうそうないよ」

 

 あんたは不動産屋か?

 

 美弥子の軽口につっこみを入れながらも、いつもいつも自分を振り回す人間よりも、彼女の言う堅実な人間と、腰を据えてつきあってみるのも悪くないかも、と思い始めていた。

 

*     *     *

 

 それからしばらくして、美弥子とその旦那のセッティングで、私は沢木さんという人と初めて出会った。趣味はランニングと山登りという彼の初見は、すらっとした長身の好青年という感じだった。かといってひょろりと痩せた体格というわけでもない。正直、美弥子の紹介ということもあって電子計算機が眼鏡をかけているような人だと思っていたけれど、そういった頭の良さではなく、随所に頭の回転が早いと思わされるような巧みな話術や如才ない気配りを見せられ、いつの間にか私は、また会う時間を作ることや、秋になったら一緒に山登りをする約束をしていた。そして、その約束はしっかりと履行され、交際するようになって現在に至る。

 

 沢木さんは、彼にするにしても結婚相手にするにしても、最良の相手だった。多趣味で、知識は豊富で、話術は巧みで飽きさせられることはなかった。男性らしい積極さも、私に対する繊細な気遣いも、しっかりと兼ね揃えている人だった。いつしか結婚も――意識し始めていた頃、私は27歳になった。

 

 つまり、誕生日を迎えたということだ。

 

 祐二は私の誕生日など覚えてさえいなかったけれど、沢木さんはちゃんと覚えてくれていて、時間をとって伺います、と言ってくれた。

 

 私は、久しぶりに自分の誕生日に思う存分、料理の腕を振るおうと考えた。幸いにも今日は定刻で帰ることができたので、普段はいかない高級スーパーに立ち寄って帰宅した。

 

 誕生日を楽しみにするような年齢じゃないと思いながらも、そんな機会は数年来なかったことだから、鼻歌まじりに包丁を握る手にも不思議と力がこもった。

 

 一通りの準備を整え、我ながら「やりすぎちゃったかな」と思うほどの料理が並んだテーブルの上を、両手を腰に当てて、うん、と頷きながら見ていた私の耳に、呼び鈴の音が鳴るのが聞こえた。

 

 ……こんな時間に誰だろう?

 

 と思ったのは、沢木さんはいつでも立ち寄る前に連絡を入れる習慣にしてくれていたからだ。私はまずレギンスのポケットに入っていた携帯電話を取り出して、着信が入っていないことを確かめた。

 

 その間にも呼び鈴は鳴っている。

 

 私は、テーブルの上に携帯電話を置いてから、小走りに玄関のドアへと向かい、覗き窓から外に目をやり、外に立っている人間を確認した。

 

「よぉ。ただいま」

 

 私がドアを開けると、厚手のコートのポケットに手を突っ込んで立っていた祐二は、当たり前のように手をあげて挨拶する。

 

 その手には、真新しい煙草の箱が握られている。

 

 まるで、ほんのついさっき出かけて行って、そのまま戻ってきたかのようだ。実際には1年が経っているのに。

 

「どこに行っていたのよ」

 

 私の声に含まれた怒気に気づいているのかいないのか、祐二はいつものような軽い口調で、

 

「ん? 煙草を買いに」

 

「その後よ。1年も何処に行っていたの?」

 

「なんか、冬なのに雪がないな~とか思ったら、急に雪が見たくなって北海道まで」

 

「……」

 

「そしたら、なんだか北端まで行ってオホーツクか見てたら。ついでに海を越えてロシアに行きたくなって」

 

「もういい」

 

 私はため息をついた。祐二と話しているといらだっている自分がばからしくなってくる。それは1年以上前にも同じように繰り返された展開だった。

 

 そんな私のため息の意味をどう受け取ったのか、

 

「心配しなくても」

 

 と両手を振りながら祐二は言った。

 

「ちゃんとパスポート持って行ったから。密入国とかしてないし」

 

「誰もそんなことは心配してない!」

 

 冷たい声で返しながら、なぜだか一気に、自分の胸の中に懐かしい気持ちがわき上がってくる。本当に、最後に会ってから1年も経ったのか疑わしくもなってくるのが不思議だった。この1年間のことは、ほんの10分ほどの間に見た夢だったのではないか。

 

 しかし、テーブルの上に置かれた携帯電話が目に入った瞬間、私は現実に引き戻された。私は慌てて携帯電話を取り上げると、胸の高さまで持ち上げた。

 

 そんなことをしている間にも祐二は、

 

「お! 今日はずいぶんとごちそうじゃん」

 

 と言うと、洗ってもいない手で切り分けたローストビーフを摘むと口に運ぶ。

 

「ちょっと・・・・・・」

 

 抗議の声を上げようとしても、意に介した様子もなく、今度は台所へと入っていって、コンロの上に置いたままの鍋の蓋を開ける。

 

「お。これも旨そう」

 

「……」

 

 私は、そうやって歩き回っている祐二を見ていると、なぜだか自然と苦笑し始めて来る自分がいるのに気づいた。

 

 当たり前のように皿に鍋の中身をすくって、味見など始めた祐二を見ていると、なんだか、目の前の私の部屋という空間にとっては、今繰り広げられている光景が当たり前のような気持ちになってくる。

 

 私が握っていた携帯電話を取り落としたのは、ぼぅっとしていたからか、着信を告げる振動を始めたからか。

 

 携帯電話はフローリングの床の上に落ち、派手な音を立てながら振動を続けていた。相手は……確かめるまでもない。

 

 目の前の男は“はずれ”の相手だ。そして、電話の向こうの相手は“当たり”の相手。

 

 でも……。

 

 美弥子なら、また自分からジョーカーを引いて、と呆れるだろうか? 今度こそ愛想を尽かされるかもしれない。

 

 でも、残念ながら、私という人間は、いつでも誰かに振り回されっぱなしで、自分からはずれを引くのが性分らしい。そんな人生をリクエストした覚えはないけれど。結局そういうことなんだろう。

 

 私は床の上で小刻みに震えながら私を呼び続けている携帯電話に手を伸ばしながら、そんなことを考えていた。

   

《fin》

 

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