報い


「君は、何でここにいるのか分かっていないのかな?」

 

 N署刑事課課長の工藤警部は、取調室で机を挟んで被疑者と向き合って座っている。この部屋にいるのは、工藤と、つい先ほど逮捕された被疑者と、工藤の後ろの机で取り調べの内容を記録する係の若い巡査。

 

 工藤は目の前で不貞腐れたような態度を取っている17歳の男子高校生を睨みつけた。彼は工藤よりも25歳も若いが、工藤は今でも若者には負けないと自負する体力と体格を維持している。世間を舐めきった高校生ごときに、殴り合いになっても負けない自信はあったが、後々、取り調べに強要があったなどと因縁を付けられても困る。だから取り調べには威圧的な態度をとるまいとしていたが、被疑者は工藤を舐めているのか、どうせ未成年の起こした事件だから軽く済むと思っているのか、工藤の言葉をまともに聞く様子はなかった。

 

 この男子高校生は上背はあるが痩せた体つきで、その顔つきも顎が細く動物にたとえれば狐のような印象を受けるためか、見た目を一言で言えば小ずるい男といった印象受ける。

 

 彼の名は三島信夫といった。地元の私立高校の3年生である。素行が悪いことでも有名だったが、地元の名士で金持ちの三島家の息子であることはさらに有名で、これまで問題を起こしても三島の者が裏から手を回して大事になったことはなかった。

 

 しかし、今回は話が違う。何といっても殺人事件なのだ。……いや、今のところは傷害致死事件である。しかし、人1人死んでいるのだ。裏から手を回して有耶無耶にできる問題ではない。家庭裁判所から逆送致されて、通常の刑事裁判になる可能性だってある。だから、こうして課長の工藤が直々に取り調べをしているのだった。

 

「たかだか、数百円のモンを持っていったくらいで、しつこく追いかけてきたあいつが悪いんだろうが」

 

 憮然とした態度は崩さず、信夫は攻撃的な視線を向けた。口元には工藤を馬鹿にしきった醜悪な笑みが浮かんでいる。

 

「弁護士呼べよ。せーとーな権利だろ?」

 

 工藤は両肘をついて両手を目の前で組んだ。

 

「君は、自分が何をしたのか分かっているのか?」

 

 工藤はもう一度尋ねた。取り調べは、自分の仕出かした事実の重大さを認識させることから始まる。工藤はそう信じていたが、信夫は人差し指で取調室の机を叩きながら、弁護士を呼べと繰り返しただけだった。癖なのか嫌がらせのつもりなのか、取り調べが始まってからずっと信夫は取調室の机を人差し指でトントントントンと叩き続けていた。

 

 事件発生は昨日の午前2時のことだった。いや、今日の午前2時だ。悪い仲間数人とつるんでいた信夫は、バイクで事件現場となった郊外の24時間営業のコンビニへとやってきた。そして、ウィスキーのミニボトルを当たり前のようにポケットに入れて店を出た信夫を見咎めて捕まえようとした42歳の男性店員の清水浩哉さんの脇腹を、持ち歩いていた刃渡り7センチのサバイバルナイフで突き刺した。清水さんは救急車で搬送されたが出血多量で4時間後に死亡した。

 

 すぐさま、警察への通報がなされ、目撃証言や店内カメラの映像などから三島信夫が浮上。三島宅へと赴いた警察は、同宅の裏手にあったゴミ捨て場で返り血のついた衣類を発見し、三島信夫も自らの関与を認めたために緊急逮捕へと至ったのである。

 

「あの店のオーナーは、うちのオヤジの元部下で、金もかなり借りてんだよ。だから、俺があの店のモンを持って行ったところで、何ら咎められるいわれはねぇんだよ。それをあのおっさんがグダグダ言うから、ちょっとばかし脅かしたら、ちょっとばかし刺しどころが悪かったって話じゃねぇか。あ~あ。ツいてねぇ」

 

 反省も謝罪も信夫の口から出てこない。ただ、ツいてねぇ、と繰り返すばかりだ。そんな、信夫の様子を見ながら、工藤は何であの時……と思わざるを得なかった。

 

 実は、工藤が信夫と会うのはこれが初めてではない。そして、実は被害者の清水浩哉とも、ずっと昔に会ったことがあった。

 

「今回ばかりは、君の両親が助けてくれるとは思わない方がいい。さすがにご両親もこの事件にご立腹して嘆いておられる。殺人事件だからというだけじゃないぞ。君は、自分が“誰を”殺したのか分かっていないようだからな!」

 

 ここまで傲慢な態度を続けてきた信夫の顔に、初めて微かな怯えの色が浮かんだのが見えた。やはりこいつは、素行不良のワルのくせに、いざとなれば親が無条件で助けてくれると信じて疑わない下種だ。

 

「清水さんの口座の中に、100万の金があるのがわかった。コンビニで働きながらこつこつ貯めた金だと思うかい?」 

 

「……」

 

 信夫は沈黙を返したが、いまの信夫の胸中にあるのが、被害者の個人的事情に関する関心などではなく、自己の保身のみであることは、その表情や態度から明らかだった。

 

 工藤は構わずに話を進めた。

 

「君は、13年前、誘拐の被害者になったことがある。覚えているか?」

 

「そんな昔のことが、何の関係があるって言うんだ!」

 

 ここまでずっと横柄な態度をとり続けてきた信夫の顔色が明らかに変化した。これまでも苛立ったり怒ったりした表情をしていたし、今だって怒っていると言えば怒っているのだが、その表情から伺える怒りの質は全く違う。やはり、あの事件は信夫にとっても相当なトラウマになっているようだな……と工藤は思った。

 

「君を誘拐した犯人は、深夜になるのを待って、君の父親に用意させた5000万の大金をボストンバッグに入れて運ばせ、次々に指示を出しながら、あちこちに移動させた。誘拐犯の常とう手段だな。その途中で、コンビニに立ち寄らせ、店内の客に車を借りるように指示を出した。深夜ということもあって、夜中にその店にいたのはたった1人。君のお父さんの必死さに打たれたのか、その客は快く車を貸すことに応じてくれたんだ」

 

 工藤は、そう言ってから、一呼吸置いて言葉を続けた。

 

「もう分かるだろう? その客こそが、清水浩哉さんだったんだ」

 

 信夫はそっぽを向いたままなので、聞いているかどうかわからないが、工藤はきこえていることをちゃんと聞いていることを信じて話をしていた。

 

「実は、営業マンだった清水さんは、遠い街での商談に向かうところで、眠気覚ましのためのコーヒーを買いに立ち寄ったところだった。君のお父さんに車を貸したばかりに、彼は大切な商談を流してしまったばかりか、責任を取って会社を辞めなければならなくなってしまった。 そればかりか、清水さんも事件に関わりがあるのではないかと警察に疑われたために、再就職もままならなくなった。彼の口座のお金は、君のお父さんが謝礼として渡した金だったんだ。……もっとも、彼がその後で被った損害に比べれば、全く割に合わない額だったが、清水さんはその金を使うことなく、残していたんだ」

 

 工藤が話し終えると急に取調室の中が静まり返った。信夫が取調室の机を人差し指で叩く不快な音はいつの間にか止まっていた。取り調べの模様を記録する警察官がペンを走らせる音が、静かな取調室に異様に響いていた。

 

「警察官として時々思うことがある」 

 

 しばらく沈黙してから工藤は苦々しく呟いた。

 

「もしも災害や事故などから人を救いだした時、もしもその人間がその後まっとうな人間にならずに、罪を犯すような人間なってしまった時、助けた人間にもまた責任があるのではないか、とね」

 

 工藤は立ち上がると、両手でばんっと机を叩いて、顔をぐいっと信夫に近付けた。

 

「清水さんは、大きな罪を犯した。君なんかを助けるという大罪だ。彼はその報いを受けたんだ!」

 

 工藤は吐き捨てるようにそう言い放つと、「こっちを向け」と襟首を掴んで自分の方に顔を向けさせた。

 

「今度は君が罪の報いを受ける番だ。ただ人を殺した罪じゃないぞ! 君のために一生懸命動いてくれた人。君に期待してくれた人。そういった人を裏切り続けた罪だ。君は、覚悟を決めて甘んじて罪を受け入れなくてならないんだ」

 

 何の因果か、13年前の事件でも工藤自身、捜査に加わっていた。犯人は、金の受け渡しがすんだら信夫を殺す予定だったのだが、工藤が利かせた機転によって、犯人は信夫を殺害することなく逃走し、逮捕された。

 

 清水さんに罪があると言うのなら、自分にもある。自分自身もまた、ここで罪の報いを受けている。かつて助けた人間が罪を罪と思わない人間になり果てた姿を見せつけられ、自分がその取り調べをするという報いだ。しかし、命まで奪われた清水さんに比べれば、その報いはどれだけちっぽけなものだろう。

 

 せめて、と思う。せめて、目の前にいる男が罪を自覚し報いを受ける覚悟を持ってくれれば……。しかし……目の前にいる男は、さっきまでの傲岸不遜な態度こそなりを潜め、怯えたような表情を浮かべているものの、それは直接的なプレッシャーに恐怖を感じているにすぎない。報いというのはそういうものではないのだ。 

 

 彼が報いを受けるのは、これからなのだ。

《fin》

 

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