勇者の剣


 土の匂いと樹木の匂いが充満する険しい森の中を黙々と歩む4つの人影があった。

 

「勇者は何を迷っているのか、お前に分かるか?」

 

 その中の一人、小柄な盗賊の男が、大男の戦士を見上げて尋ねた。

 

 フルアーマーに身を包んだ大柄の戦士と、軽装備の小柄な盗賊だから、凸凹コンビと仲間の女魔道師には呼ばれていた。

 

 この4人は魔王討伐に向かう若者であった。男3人に女1人のパーティーで全員十代の後半。生まれも育ちも別々だったが、どういうわけか全員同い年である。前衛と後衛に分けて行動しているわけではなかったが、自然と二人ずつに分かれて前進していた。

 

 先頭を歩く長身の男が勇者である。

 

「もうすぐのはずだな」

 

 その声には、微かに迷いが感じられる。

 

「……浮かないわね」

 

 すぐ真横を歩く、パーティの紅一点の女魔道士が尋ねた。その声には、少し勇者を心配する響きが含まれていたが、すぐに明るく言葉をつづけた。

 

「せっかく、最強の武器である勇者の剣の手に入れ方がわかって、そこに向かっているんだから、困ることなんて何にもないじゃない」

 

 彼女はいつも楽天的だ。そのおかげで、時として悲観的になりそうになるパーティはかなり助けられていた。

 

「……」

 

 勇者が腰に下げた大振りの剣に目を落とした。彼が旅立ちの時から腰に下げた鋼鉄の剣の鞘はすでに数々の激闘を潜り抜けて傷や決して落ちない汚れで薄汚れていた。

 

 しかし、刀身の手入れを欠かしたことはなく、抜き身の剣は今でも見た目は新品同様だった。

 

「そうだな」

 

 勇者の呟く声の中に含まれる感情が読み取れないが、その口調の中に歓喜は含まれていない。彼は、いい意味でも悪い意味でも、よく考えよく迷うタイプだ。

 

 苦労の末に、勇者の剣の入手方法を知ったのだ。これで勇者の剣を手に入れれば、魔王討伐にぐっと近づくことが出来る。

 

 それは、つまり、世界中で魔王によって苦しめられている人々を救う日が、一日近づくことを意味する。

 

 だが、勇者の剣の入手方法を知ってから、勇者はなぜか憂鬱そうな顔をするようになっていた。 

 

 盗賊にはその憂いの理由がわからずに気にしてはいたものの、勇者が自分から悩みの理由を口にするまでは、と話題に上げるのは避けてきた。

 

 しかし、ついに耐え切れず、勇者には聞こえない程度の声量で、勇者の憂鬱の理由を戦士に尋ねたのだった。

 

「さあな」

 

 とだけ戦士は言った。

 

 彼は非常に寡黙な男で、必要最小限以上のことはあまり喋らないから、本当に勇者の迷いの正体に気付いていないのかは、この時は確かめようがなかった。

 

「そろそろだ」

 

 と勇者が言ったのは、暗い森の中が急に明るく感じたときだった。鼻腔を陽の匂いがくすぐるような錯覚を覚え、女魔道師が歓声を上げた。

 

 そして、森が突然開け、開けた先には広い泉があった。

 

 森の中とは違う爽やかな緑が一面に広がり、そこが同じ森の中の世界だろうかと誰もが疑問を抱くほどだった。

 

 話に聞いた通りである。

 

 泉の水も恐ろしく澄んでいて、人の手がまるで入らない世界であることを実感させられた。

 

「さあ、勇者。今こそ勇者の剣を」

 

「あ……あぁ」

 

 勇者は、未だに躊躇っているようだったが、やがて腰から鋼鉄の剣を外し、おもむろに泉の中に放り込んだ。

 

 ばしゃんっ!

 

 水音が響いた。

 

 そして、鋼鉄の剣は静かに沈んで行き……。しばらくすると、水面に美しい女性が立っていた。

 

  勇者の耳元で女魔道師が囁くのが見えた。「あれが、泉の精霊ね。勇者、間違えちゃ、駄目よ」とでも言っているのだろうと盗賊は思う。

 

 そうこうしているうちに泉の精霊は長い金色の髪をすっとたなびかせながら、勇者たちのところへと近づいてきた。

 

 不思議と水面は揺れていない。

 

 彼女が開いた両掌の上に、一振りずつ二本の剣が乗せられていた。

 

「あなたが落としたのは、このミスリルの剣ですか? この鋼鉄の剣ですか?」

 

「……私が落としたのは……」

 

 勇者は苦渋の表情で続けた。

 

「その、ミスリルの剣です」

 

 精霊はにこりと微笑み、ミスリルの剣を勇者に渡すとふっと消えていった。

 

 精霊が消えたのを確かめると、勇者はミスリルの剣を泉に放り込んだ。

 

 今度は全く躊躇うことはなかった。

 

 再び水音がして、再び湖面に美しい精霊が姿を現し、再び同じようなやり取りが繰り返された。

 

「あなたが落としたのは、この魔法の剣ですか? それとも、このミスリルの剣ですか?」

 

「私が落としたのは、この魔法の剣です」

 

 そのやり取りで魔法の剣を手に入れた勇者は、さらにもう一度魔法の剣を泉に投げ込んだ。

 

 再び湖面に現れた美しき精霊は、再び尋ねた。

 

「あなたが落としたのは――」

 

 今度は彼女の掌の上には、輝くような装飾が施された勇者の剣と、最初に勇者が投げ込んだ薄汚れた鋼鉄の剣があった。

 

 勇者の声が震えていた。

 

「私が落としたのは……」

 

 盗賊には勇者が次の言葉を発するまで、異様なほど時間がかかったように感じた。やがて勇者は意を決したように言った。

 

「私が落としたのは、その鋼鉄の剣です」

 

「勇者!」

 

 と女魔道師が非難の声を上げた。

 

「どういうつもりなの! せっかく目の前に勇者の剣があるというのに!」

 

「いいんだ!」

 

 勇者は首を小さく左右に振った。盗賊には、このわずかな時間で勇者が異様なほど疲れているように見えた。

 

「これで……いいんだ」

 

 沈んだ口調で――自分自身に言い聞かせるように繰り返しながら、鋼鉄の剣を受け取った勇者は、顔を伏せ踵を返して、すたすたと歩いていく。

 

「何がいいのよぉ……もう!」

 

 女魔道師が慌てたように後を追う。盗賊は戦士とともに、その後に続く。

 

「分かってないなぁ」

 

 戦士の呟きを、盗賊はかろうじて聞き取れた。

 

「いくら、より強力な武器を手に入れるためとはいえ、今まで共に戦い、自分の命を守ってくれてきた愛用の武器を道具みたいに扱うことなんて、出来るはずもないだろうに」

 

「そういうもんかなぁ……」

  

 これによって、魔王を倒すために重要な鍵が一つ失われたのは確かなのだ。一個人の感情で、自分たちに期待している多くの人々を裏切ってしまった。そう思いながら、盗賊が振り返ると、泉には精霊がまだ消えずに残っていた。

 

 精霊と目があった。精霊が手招きしたので盗賊は駆け寄った。彼の目の前に、勇者の剣がすっと差し出された。

 

「この勇者の剣もお持ちなさい。魔王を倒すためには絶対に必要なものですから」

 

 戸惑いながらも勇者の剣を受け取ると、精霊は目の前から消え去った。

 

 全てが白昼夢かと思うほどに、水面にはさざなみ一つ立ってはいなかった。盗賊の腕の中にある勇者の剣の重みだけが、夢ではないことを教えてくれていた。

 

 ……これでよかったのか?

 

 ふとそんなことを思った盗賊の背中に、

 

「おーい! 何やっているのよ! 先に行っちゃうよ~!」

 

 という女魔道師の声がぶつかった。

 

 盗賊は少し苦笑をしてから、両腕で抱えた勇者の剣を抱えなおすと、足元に力を込めた。

  

≪fin≫

  

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