ある王国のある小さな村のすぐ近くに、美しい森がある。
その美しい森の中には、澄んだ水をたたえた美しい泉がある。
その泉の脇には、巨大な鉄色の岩があり、その岩には一本の美しい剣が突き立てられていた。
その剣が、いつ突き立てられたものなのかを伝える史料はない。
ずっとずっと昔から突き立てられている。
ある、伝承とともに――。
『この剣を引き抜きし者、魔王を打ち滅ぼし、王国に安寧を与える者となろう』
この文言故に、この剣を人々は神によって授けられた“試しの剣”と呼んでいた。
これまで数多くの者たちが、この剣に挑んだ。
その中には、人々の信頼熱い王様もいた。
誰もが認める勇者もいた。
世界の真理を追究する魔導士もいたし、冗談半分でやってきた遊び人も、世を騒がせた盗賊もいた。
善い者もいたし、悪しき者もいた。
強い者もいたし、弱き者もいた。
魔王から人々を救うために戦い続けている者もいたし、あわよくば剣を引き抜いてそれを勇者に高値で売り払ってやろうなどと考える不心得者もいた。
しかし誰にも引き抜くことはできなかった。
そもそも、この剣の伝承は事実なのか? と疑う者も多かったが、岩の上に見える刀身は誰も手入れなどしていないにもかかわらず曇り一つなく美しいままで、少なくともこの剣がただの剣ではないことは明白だった。
誰にも、引き抜けない剣を求め、様々な者たちがやって来ては敗れて去っていく。
それを何千年も繰り返していた。
そして魔王たち魔族との戦いは――。
* * *
俺は剣を引き抜ける真の勇者を探していた。俺自身が剣を引き抜こうとしたこともあったが、何年も前に自分には無理だということを確かめた。25歳の時だった。
腕力にはそこそこ自信があったし、ひょっとしたら抜けるのではないか……などと思っていたが、ピクリとも動かなかった。魔王を打ち滅ぼせる剣を引き抜きたい。その思いだけで懸命に引き続けたが、どうにもならず掌の皮がずる向けて、ようやく諦めた。
引き抜くのではなく、土台となっている岩を破壊しようと試みたこともあったが、ハンマーで殴った程度では土台の岩をぶち壊すことはできず、重機を持ち込むには道が悪く、火薬を使って吹き飛ばすことも考えたが、火薬を使う許可を政府から得ることが出なかった。
剣を使いこなせる“勇者”が必要なのだ。
俺は、この剣を抜ける人間を探すことに力を尽くしてきた。生涯をかけるに値する一大事業である。財産をはたいて、引き抜けそうな資質を持っていそうな者たちを集めた。集めてはここに連れて来て、失敗しては新たな者を募る。
魔王との戦いが始まったのは5000年前。それから長い月日が経ったが、未だこの剣を引き抜けた者はいない。
そろそろ一人くらいそんな人間が出て来ても良いのではないか……そんな焦りと苛立ちを感じる今日この頃でもある。
本日連れてきたのは3人。いずれも腕に覚えがあり、上級魔族が相手でも戦えそうな猛者たちだ。
一人目は、格闘を生業とする格闘家であった。
肩幅は大きく発達しており、いかにも戦闘向きの体格をしている。実際腕力もかなりものだろう。事実、この大男は私の目の前で拳ほどの石を握力だけで砕いて見せた。
上半身を裸になった大男が剣の柄を握ると、男の腕に力が籠ったのが分かった。発達した上腕二頭筋が、さらに膨らんだのがわかる。気合とともに、男が剣を引き抜こうと力を入れた。
地面が揺れたように感じたのは、多分気のせいではない。恐るべきパワーだ。顔を真っ赤にして、全力を振り絞る男の形相を見ていると、大地でさえこの男の意のままになるのではないかとさえ思えてくる。
しかし、健闘むなしく、大男は剣を引き抜くことはできなかった。
「ふむ。やはり力だけでは駄目のようだな」
と言って大男と後退したのは初老の武道家であった。武道着という白色の変わった召し物を着ている。
全盛期は相当に強かったらしい……というと語弊はあるかもしれない。この武道家は、今こそが全盛期であると主張して譲らなかった。
事実、この武道家は俺の目の前で、弟子たちをバッタバッタと投げ飛ばした。
力ではなく、タイミングと体重の移動をうまく使うのさ、とこの武道家は笑う。
武道家の男は、両腕を胸の前で交差させ、ふうーと長く細い息を吐いた。最も力を発揮できるタイミングに合わせる呼吸法の一種だ。ふっと息を吐きだす瞬間にあわせて柄を握りこむ。
ピクリともしなかった。
「……次は私の番ね。物理的な力ではどうにもならないこともあるのよ」
今日連れてきたのは3人――。最後に残っていた妙齢の女性が失敗すると、今回も誰にも剣を引き抜けなかったことになる。
この女性はゆったりとした灰色のローブと、フードを被っていて実年齢も体型も不詳である。顔もよく見えないが、思ったより若そうな可愛らしい声には、自信が溢れて聞こえる。
彼女は、自称魔導士――失われた古代魔法の使い手ということだった。
「むぅ……」
魔導士女のローブがふわりと揺れた。彼女を青白いオーラが取り巻いているように見える。
ぐっと、握られた剣の柄にバチバチバチと電気が走ったように見えた。一秒後、魔導士女は剣の柄から手を離す。何があったのか、魔導士女の掌が黒焦げで、肉の焼けた焦げ臭いが辺りを漂った。女魔導士は黒くなった掌を握ったり開いたりしていた。彼女の魔力と反応したのだろうが、あの手では今日はとても剣の柄を握ることはできないだろう。
「……全員駄目か」
俺は嘆息した。今回は、見どころがありそうだったのに……。
「やっぱり、金で雇った人間じゃ、いくら実力があってもダメなんじゃないですか?」
俺の横から声をかけてきたのは、俺の研究の助手をしている若い男だ。
「……金を払わなければ誰もこんなところには来ないからなぁ……」
言葉を穿いた瞬間に泣きそうになった俺は空を見上げた。自分の腹の内のぐちゃぐちゃしたものをあざ笑うかのような、青く澄んだ空が広がっている。
「魔王と人間との戦争なんか3000年も昔に終わってしまって……。魔族はほんのわずかな辺境に押しやることに成功したが、彼らの文化も絶えてしまった。さらに当時のことを知る貴重な史料は、度重なる戦火の中で散逸してしまった。ここに残っている剣は、当時を知る大切な資料……。
俺は、この剣を調べたい、全財産をなげうってでも絶対に!」
今回、剣を抜くのに失敗した挑戦者たちが去っていくのを助手と共に見送りながら、俺は拳を握り、決意を新たにしていた。
≪fin≫
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