みっつの願い


 桜の季節に4歳の一人娘が交通事故に遭って死んでから半年が経とうとしていた。季節は夏をとっくに過ぎて秋に移っていた。四十九日もとうに終え、表向き日常は平穏を取り戻したかのように思えるが、内心はそんなはずはない。妻も口には出さないが同様であろう。

 

 友人たちも、そんな私たちを心配して色々と気遣ってくれるが、私にはそのような気遣いはかえって重荷に感じ、逆に悪意にさえ感じてしまう始末だった。

 

 私は縁側への開き戸を開けて庭に目をやった。その向こうに、塀で仕切られた隣家の庭が見える。桜の木が植えてあるのはその庭だった。

 

 娘と同い年の子供がいる隣家の幸せそうな家族を憎々しい目で見つめる日々だった。同じ年の娘同士、とても仲良しだった。娘が死ぬ前日には、その桜の木の下で花見を楽しんだのだ。あの時の娘の楽しそうな顔は忘れられないだろう。そして私は2度と桜の花を綺麗だと思わないだろう。

 

 どうして死んだのは私の娘だったのだろう、隣の娘だったら良かったのにと、ささくれた気持ちになって、お隣さんと顔を合わせても挨拶することができなくなっていた。

 

 娘が生きていたころは手入れが生き届いていた庭の花々も、今は雑草に浸食されて見る影もなくなっていた。娘の為にと無理をして購入した一軒家も、無駄になりそうな感じだった。隣の家人が出てきた気配がして、私は慌てて引き戸を閉めて、カーテンを引いた。

 

 

*     *     *

 

 

 来訪者があったのは、そんな土曜日の昼のことだった。妻は外出しており、家には私一人だった。

 

「ここに受け取りのサインをお願いします」

 

 と宅配便の若い男が言ったが、来訪者とは彼のことではない。彼から受け取った横幅15センチ、高さ10センチほどの箱を抱えて、私はリビングへと戻った。送り主は、高校時代からの15年来の友人だった。

 

 私は包装紙を開いて、綺麗な木の箱に入ったそれを取り出した。

 

「ランプ?」

 

 私は、同封されていた彼からの手紙を開いて読んだ。

 

 それによれば、このランプは、本当に苦しんでいる人、耐えがたい悲しみにさいなまれている人に幸福をもたらしてくれるものらしい。数年前に海外の古物屋で購入したものだが、自分には何も起こらなかった……と手紙には記されていた。

 

 それを読んだ私は、カッとなってランプをフローリングの床に叩きつけた。叩きつけられたランプの蓋が飛んでカラカラと音を立てた。なんなのだ、これは。このランプを娘の代わりだと思えとでもいうのか! 私にはこんな友人の気遣いさえも、嫌がらせの類にしか思えなかった。そんな自分の心があまりに薄汚く思えて、私は慌てて床に落ちたランプを拾おうと手を伸ばした。

 

 その時だった。開いたランプの蓋から黒い煙が立ち上った。私は慌てて後ずさると、煙が集まって形作っていくのを声も出せずに凝視するより何もできなかった。

 

 その黒い煙は、まるで人のシルエットのような形に固まっていった。人で言えば顔にあたる部分に、赤い双眸が浮かんだ。人のシルエットと違うのは頭に長い角のような物が見えることだ。そのシルエットの顔の中心に三日月を真横にしたような金色の口が浮かび上がった。

 

「俺を蘇らせたのはお前のようだな」

 

「な……何だと! お……お前こそ誰なんだ!」

 

 言ってから、我ながらなんてバカみたいな問いかけをしてしまったのかと思う。こんな出現の仕方をする奴が、普通の人間のはずがない。

 

「俺か? 俺は見ての通り、悪魔さ」

 

 金色の口が、これ以上ないほど、細長く、弓なりにUの字を形作った。私が、目の前の存在が悪魔なのだと納得できたのは、この口を見た瞬間だった。

 

「あ……悪魔が一体何の用なんだ!」

 

 私が悲鳴じみた声を上げて叫ぶと、

 

「それはご挨拶だな。呼び出したのはお前だろう?」

 

 と悪魔は返した。

 

「俺は、ランプの中で眠りながら、色んな人間の間を行ったり来たりしながら、不幸を背負った人間の願いを叶えてやって来たのさ。どうだ? 俺は良心的な悪魔だろう? さて、封印を解いてくれた礼に、お前の願いも、みっつだけ叶えてやろう」

 

 私の願い……。考えるまでもない。

 

「だが、いくら俺が優秀な悪魔でも、出来ないことがある。例えばお前を世界の帝王にするとか、世界を滅ぼせるような力を手に入れるとか、俺の力をもってしても不可能なことは不可能だし、時間を巻き戻したり、現実で起こったことをなかったことにするようなことは無理だ。俺の力を譲渡したりお前を悪魔にしたりするのも不可能だ。だが、まぁ、人間の欲望を満たすくらいのことなら、容易い。さあ、言うがいい。望みは金か? 若さか?」

 

 私のたった一つの願いは世界の王になろうと、どれほどの大金を積もうと叶えられないものだ。だが、あるいは、この悪魔には可能なことなのだろうか?

 

 私は、本命の願いを叶える前に、試しに一つ、言った。

 

「何でもできるというなら、そうだな、お隣の庭の桜の木の花を、満開に咲かせることはできるか?」

 

「そんなことは容易い」

 

 悪魔はその金色の口から何かの言葉を発したが私には理解不能な言葉だった。仕事の関係で英語と中国語は片言ながら解せたが、どちらでもなさそうだった。私の知らない言語……あるいはこれが呪文とかいう奴なのだろう。

 

 隣の家から、悲鳴とも歓喜ともつかない声が聞こえてきた。断片的に聞こえてきた声から、私の言った“願い”が叶えられたことは、確かめる必要はないと思われた。

 

「……まぁ、どんなふうに叶えるか、叶えた後で何が起きるか、ということについては、俺が関与することではないがね」

 

「ど……どういう意味だ?」

 

「別に深い意味はないさ。例えば、昔の怪談話にもあるだろう? 大金を求めたら遠くの町で働いている息子が死んで見舞金が入ってくる、という話が。もっとも、そういうのは俺が意図してやることではないがな。世の中は何かしかのバランスがとれるように出来ている物なのさ。今の願いだって、この時期に花が咲いてしまったら、あの桜の木は来年の春に咲かせることができるかどうか……」

 

 ごくり、と私は唾を飲み込んだ。やはり、こいつは本物の悪魔だ。実に楽しそうな口調で話すのを聞いて、改めてそう思う。

 

 だが……。

 

「私が……3つの願いを叶え終えたら、お前はどうなるんだ?」

 

「俺か? もちろん俺は悪魔だからな。人間が不幸になるのを見るのが好きなのさ。だから、何十人か何百人かに不幸をばら撒いて、気が向いたら寝るだけさ。そのランプの中にな」

 

 不幸をばら撒く……。さらりと言ったが、誰かを殺したり、金を失わせたり、犯罪に走らせたり……そういうことだろう。私と同じ思いをする人間が大勢出てくるということなのか。

 

 私は、次の願いを決め、口にしようとしたが、悪魔が待ったをかけた。

 

「後の願いは1つだけだからな。慎重に願い事を言えよ」

 

「な! 何だって?」

 

「さっき、お前の質問に答えてやっただろう。あれで2つ目だ」

 

「そんな馬鹿な……」

 

「言っておくが、願いの数は増えたりはしないからな」

 

 まだ私には納得がいかなかったが、さらにくらいついてへそを曲げられても困る。私はしばらく考えてから、次の願いを口にした。

 

「よ……よし。これならどうだ。お前は、私の娘を生き返らせて、それが終わったらランプの中に入るんだ」

 

 どうなったのだろう……。少なくとも、ここでは何か起きたのか、娘が生き返ったのか、分からなかった。しかし、目の前の悪魔は相変わらずのにやにや笑いを浮かべていて、やはり変化はない。

 

「生憎だが、そいつはルール違反だ」

 

 影のような煙のような悪魔の手が上がり、人差し指をチッチッチッとするように左右に振ってみせた。

 

「娘を生き返らせるのと、俺がランプの中に入るのと、願い事が2つになっているからな。そんなのを許していたら、願いが際限なく増えてしまうだろ? それから、さっきも言ったとおり、叶えられる願いを増やすっていうのもナシだ」

 

 悪魔は一旦言葉を区切って、裂けるのではないかと思えるほど、その口をにたぁ~っと細長く歪めた。

 

「さあ、やり直しだ。お前が娘を生き返らせたら、俺によって沢山の人が不幸になる。俺を封印したら絶対に娘は生き返らない」

 

 私はそれを黙って聞いていたが、だらだらと汗が流れてきた。究極の選択を迫られているのが分かった。

 

 悪魔が、一言一言くっきりと区切りながら言った。

 

「さ・あ・ど・う・す・る?」

 

 最後の願いを前に、私は……私は……。

 

 

*     *     *

 

 

 僕は、頭を抱えていた。夏休み前の蒸し暑い時期だからではない。国語の期末テストの僕の解答用紙は最後の問題を残すのみだったが、この問題の配点は20点もある。

 

 最近は詰め込み教育が否定され、ゆとり教育も否定され、中学の授業でも論理的な思考だとか、応用力だとかを養う勉強が必要だとか言われている。それは分からないではないけれど、この問題はどうかと思う。

 

『このような状況において、娘を生き返らせ、なおかつ悪魔を封印できる最も有効な願い方を答えよ』

 

 僕は、ちらりと担当の国語教師の顔を盗み見た。僕と目があった教師は一瞬にやりとした。その顔はまるで悪魔の笑みのようだと思った。

 

 

《fin》

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