光の射すほうへ【8】


  ぐるる、と唸り声を上げながら、バルドルが女を睨み続けるが、女は気にした風もなく、今度はアカリに声をかけた。

 

「アカリ……お前が知りたいこと、無くしてしまったことの全ては、このエリューズニルにある。その全てを集め終わった時に、きっと今度はお前の方から私に身を委ねる気になるだろうよ」

 

 女はそう言うとアカリに背を向ける。アカリは女に何を聞けばいいのかわからないまま、反射的に「待って!」と声をかけていた。

 

 女は階段を上がっていく足も止めず振り向きもしなかったが、何の反応も示さなかったわけではなかった。女のはっきりした声が玄関ホールに響き渡った。

 

「私の名はヘル。闇の女王ヘル。ニヴルヘルの支配者であり、ガングラティとガングレト……お前たちが呼ぶところのファントムの支配者さ」

 

 ヘルと名乗った女の姿が、全ての言葉が終わるより早く消え去っていた。まるで今までそこにいたのが幻影のように……。アカリは階段を駆け上がると、さっきまでヘルがいた場所に立って辺りを見回したがヘルの姿を見ることはなかった。

 

「闇の女王ヘル……エリューズニル……ニヴルヘル……」

 

 いずれもアカリの知らない単語だが、どこかで聞いたことがあるような……心のどこかに引っかかっているようなそんな気がして仕方なかった。

 

 アカリの後を追ってバルドルが上がってくる。

 

「あのヘルって女。バルドルのことを知っていたみたいだったけれど、知り合い?」

 

 アカリがバルドルの頭をなでながらした問いに、バルドルは反応を示さなかった。頷くことも、よく分からないというように小首をかしげることもしなかった。

 

 アカリはバルドルから手を離して、壁に掛けてあった女の絵に目を向けると、その中には何も描かれおらず真っ黒なキャンバスだけが残されていた。

 

 いまさら何が起こっても驚かないようにするつもりだったけれど、これには少しだけ驚いた。しかし、驚きは顔に出さないように気をつけながら次にするべきことを考えた。

 

「どっちにしても、玄関からは外に出られないようだし、他の出口を探さなければいけないね」

 

 2階へと登っていくアカリの後をバルドルが付いてくる。アカリが振り向くと、バルドルのくりくりとした丸い目がすぐ真後ろにあった。何を考えているのかよく分からない目だ。でもバルドルは何か隠している? 隠しているのか、伝えたいけれど伝える術がないのか……さてどっちだろう?

 

 2階へと上がったアカリは、廊下を真っ直ぐに進んでいた。1階と2階の違いはあっても、さっき通った1階の廊下とほぼ同じ。漆喰の壁、木製の扉、ランプの明かり、赤い絨毯。

 

 アカリ達は、来たのと同じ方向に向かって進んでいた。先ほどの石造りの広間に向かっていることになるが、2階から入れるかどうかは分からないし、第一また入りたい空間でもない。

 

 今度は、その途中の部屋を一つ一つ見て回る。

 

 ベッドが置かれた寝室もあり、物置もあり。進行方向に向かって順番に扉を開いては丹念に調べて回る。物置には何も敷かれておらず木の床がむき出しになっていたが、人の生活の匂いがする部屋には、廊下と同じ赤い絨毯が敷かれていた。

 

 その中の一室に机が置かれた部屋が見つかった。机の上には万年筆と数枚の白い紙が置かれている。白い紙にはまだ何も書かれていない。ここで待っていたら、この万年筆の持ち主が帰ってきて、何かを書き込むのだろうか?

 

 姿なきファントムがこの椅子に座って万年筆を走らせている様を想像して、アカリは小さく肩をすくめる。それから、部屋の中をぐるりと見回すと壁に何かが掛かっているのが見えた。

 

「……服?」

 

 アカリはかかっていた服を手に取った。紺を基調にした色をしており、上下セパレートタイプになっている。気になるのは胸もとから背中にかけての大きな襟だった。どのように使うのだろう? 胸元に下げられたスカーフは、手拭き用だろうか? 

 

 

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