光の射すほうへ【3】


「バル……」

 

 もう一度名を呼ぼうとしたアカリは、頬に触れた冷たい水滴に、反射的に天を仰いだ。 

 

「……まずいよ」 

 

 火の最大の敵は水に他ならない。 

 

「バルドル! バルドル! バルドル!」 

 

 アカリは立て続けにその名を呼ぶが、やはり返事はない。ぽつぽつと降り始めた雨はあっという間に豪雨になり、アカリを容赦なく打ちすえる。 

 

 雨粒の冷たさにアカリは空を見上げて「ああ……神様……」と呻いた。最後の最後の希望は、あまりにもあっけなく失われていく。彼女の握った松明の火にも、雨水が容赦なく降りかかる。みるみるうちに弱々しくなっていく松明の火を、何とか守ろうと身体で抱きかかえるようにして雨から逃げようとしたが、ほんの僅かに火を延命させただけだった。 

 

「ダメ! ダメよ! 消えないで」 

 

 アカリは半泣きで懇願するが、その願いが叶えられることはなかった。やがて、火は静かに消えていった。背後でアカリを照らしていた町を燃やしつくた炎も、雨によって鎮められていった。それは、あれほど猛り狂っていたのが嘘のような、呆気ないものだった。

 

 そして――辺りが闇に包まれた。間をおかずして巻き起こる悲鳴。絶叫。――そして静寂。炎がそうであったように、人の命も呆気なく消えていく。不思議と焼け焦げた嫌な臭いを感じなかった。

 

 アカリは振り返らなかった。ファントムたちによる虐殺が行われたであろうことは容易に想像ができる。アカリには何もできなかった。自分の命を守る脆弱な盾も、最も頼りになる同伴者も、失ってしまっていたのだから。

 

 悲鳴が消えるまでのわずかな時間は、次は自分の番だと覚悟を決める程度の猶予は与えてくれた。

 

 アカリは、ファントムに取り囲まれていることを悟っていた。闇の中の影を見ることなどできないが、気配でそこに何かがいるのが分かる。 

 

 ……私は、ここで、死ぬ。 

 

 アカリは、諦めとともに目を瞑った。せめて、死ぬ時に見苦しく悲鳴を上げることだけは避けようと、ぐっと唇を噛みしめた。 

 

 目を瞑ったところで、暗闇の住人には何も変わらない。それでも瞑らずにはいられなかった。アカリはファントムの気配が一斉に近づいてきたことを感じた。ファントムが両手を突き出して迫ってくるのが、閉ざされた瞼がフィルターになって、むしろはっきりと見えるような気がした。

 

*   *   *

 

 アカリは、不思議な温かさを感じていた。それはとても心地がよい。何の不安も、恐れもない、まどろみの中にいる感覚。アカリはすぐに夢だと気付いた。自分たちが住まう世界には決してあり得ない安心感なのだから。 

 

 目を覚ましたくないと思う気持ちはありながらも、一度夢だと認識してしまうと覚醒するまでにさしたる時間はかからなかった。 

 

 しかし、目を開くとそこに広がるのは、ただの闇だった。 

 

 自分は一体どうなってしまったのだろう? 最後の光景を思い出し、ぶるっと身震いする。ファントムに触れられた。ということは自分は死んでしまったのだろうか? ここは死後の世界という所だろうか。

 

 アカリは自分が今置かれている状況を確かめるために手を伸ばした。その時、身体がぐるんと、前のめりに一回転した。自分の足で立とうとして、アカリは気付いた。自分の足の下に地面はなかった。ふわふわと浮いていた。 

 

 アカリは両手をかきながら泳ぐように前に進んでいった。突き出した手が何かに当たる。

 

 冷たい……。 

 

 アカリは、手に触れたものを握りしめた。それは棒状に上下に伸びていた。その右横にも、15センチほど感覚を開けて同じような棒がある。触った感触は鉄のように思えた。

 

 一本一本握って確かめて、これが檻だとようやく気付いた。ここが何処かも、何故なのかも分からなかったが、アカリは檻に入れられていた。それはアカリの細い腕の力ではびくともしない頑丈な鉄棒だった。

 

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