光の射すほうへ【23(最終)】


 

 

 「バルドルは君の中にいつでもいる。ヘルもね。君はきっと、希望も、絶望も、抱えて生きていける。……また、会おう」

 

「うん。またね」

 

 アカリはドアノブを力強く握りなおし扉を開くと、その先には、虹のような淡い光彩を放つ光の道ができていた。アカリは、恐れることなく足を踏み出した。足裏に響くような感触に、足下に地面があることで人は安心を覚える……というバルドルの言葉を思い出した。

 

 

*     *     *

 

「……眩しい」

 

 灯が目を開くと、蛍光灯の光が眼の中に入ってきた。刺すような痛みを感じる。「うっ」っと灯は自由にならない喉から声を絞り出すと、光を遮ろうと右手を上げようとした。しかし、その手は喉以上に自由にならない。

 

「何……?」

 

 頭を動かし、右手の方を見ると、誰かが右手が動かないように押さえているのが見えた。

「駄目よ。……点滴を打っているから。すぐに、先生に来てもらうからね」

 

 灯が視線を動かすと、薬剤を入れたボトルや右腕から伸びたチューブが見える。相当の間眠っていたとみえ、目は覚めても頭にもやがかかったような感じで、そこが病室だと気付くのに、しばらく時間がかかった。戻ってきたことにホッとしつつ、さっきまでいた闇に閉ざされた世界やエリューズニルのことを思い出そうとしたがうまくは思い出せなかった。あれは夢だったのか、死後の世界というやつに足を一歩踏み入れたのかは分からない。しかし、そこで得た「生きよう」という思いだけははっきりと覚えていた。

 

 針が刺さった右腕の向こう側にはママの顔があった。いつもは念入りに化粧を施しているはずなのに、今日のママの顔に化粧をしている様子はない。

 

「ごめんね。ママ……」

 

 疲労困憊といった顔を見た灯は、ただ一言にありとあらゆるの気持ちを込めて言葉にした。ママの目の下には、はっきりと涙の跡が残っていた。その上を伝って、新しい雫がこぼれおちていった。

 

 次の瞬間、灯は、強い力でママに抱きしめられたのが分かった。こんな風に、抱きしめられたのはいつ以来だっただろう。バルドルの温かさと同だった。

 

 アカリの耳に、嗚咽が混ざったママの声が聞こえた。

 

「ごめんなさい……灯」

 

*     *     *

 

「それって……夢オチ?」

 

 夕食のテーブルを挟んで目の前に座った青年――もうすぐ24歳になる息子の言葉に、話し終えた灯は微苦笑を浮かべ、「かもね」と返した。

 

「それでさ……その後はどうなったの?」

 

「……時々ピアノを弾いているでしょう?」 

 

 灯はそう言いながら右腕を曲げたり、伸ばしたりを繰り返してみせた。

 

「事故で私は、色んなものを無くしてしまったわ。特に右腕と右足が潰れていて日常生活を送れるようになるまでに、長いリハビリが必要になったの。リハビリを頑張ってもピアノは素人以下にしか弾けなくなったし、陸上も諦めるしかなかった……」 

 

 大切な自分の命を自分の手で摘もうとした報いだろうね……と灯は笑う。

 

「確かに、あの時は色々ショックだったけれど、もう大昔の話になっちゃったからね」

 

 絶望の中にある希望を探そう……あれ以来、灯が座右の銘としていることだった。それがうまくいったか分からないけれど、灯はやがて高校を卒業し、大学を卒業し、OLになって縁のあった取引先の男性と結婚し、やがて男の子をもうけた。

 

 そして、その子もいつの間にか成長し、もうすぐ結婚しようとしている。時の経つのは早いものだ、とつくづく思う。そして、中学生の時に、死さえ考えるほど強烈な絶望感も、過去の出来事になってしまえば、なんてささやかなことだったのだろうと思う。

 

「じゃ、俺は部屋に戻るから」

 

「うん……」

 

 灯は、立ち上がり食器を流しへと戻してかえら、リビングを出ようとする息子の背中を見送った。

 

 事故の後、灯はずっと彼の――アカリがバルドルと呼んだ青年の姿を探し続けていた。「また」という最後の言葉は今でも胸の奥に残っていたが、ある日突然、バルドルが誰なのか気付いた。

 

 彼の顔を見るたびに、バルドルの顔を思い出す。本当にそっくりなのだ。探すまでもなくバルドルはいつでも灯のそばにいて、ずっと、ずっと見守ってくれていたのだ。

 

「ありがとうね。光輝……」

 

 灯は息子の背中に、ぽつりと声をかけた。

 

《fin》

 

 

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