光の射すほうへ【21】


 

 「確かにここは美しい」

 

 アカリはバルドルが顎を上げて目線を上げたのにつられて、同じように見上げた。改めて水の底から見える日の光にも似た射すような鋭い光が目に飛び込んでくる。

 

「しかしここは、何よりも不自由だ。体の自由が利かず、息もできない水の底……」

 

 唐突にアカリの体が重力を感じなくなった。体がふわふわと浮いて何度も回転する。体が動くのを抑えようとしたが、支えるものがなく、掴まるものもなければどうすることもできなかった。この感覚は前にも経験したことがあるなとアカリは思い、そしてすぐに思い出した。エリューズニルに連れてこられたときに、最初に入れられていた檻の中の感覚。あのときと違うのは、アカリは檻の中にいるわけではなく、闇にとらわれているわけでもないことだった。

 

 アカリがバルドルに連れてこられた世界は異質だった。光に満たされているわけでも、闇に閉ざされているわけでもない。無限に広がっているように見える広大な世界に、文字通り、何もなかった。その何もない世界に、アカリは1人、取り残されていた。

 

 アカリは自分の手を見て驚愕した。アカリの手はそこにはなかった。手ばかりではなく足も、胴体も……。触れられないから、それらが見えなくなっているのか、存在しないのかさえ分からない。思考さえも、これは本当に自分自身のものなのか――? こうやって疑問に思っている自分の思考が、自分自身のものなのか、他の誰かのものなのかさえ、その境界を見つけだすことができない。

 

 怖い――!!

 

「それが……自由だよ」

 

 バルドルの声がどこからともなく聞こえてくる。今まで、聴いたこともないくらい硬質な声で。抑揚のない淡々とした口調で。

 

「自由? こんなに恐ろしい世界が?」

 

「そうだ。アカリの姿を形作るものは何もなく、アカリと世界を認識するための色は存在せず、上と下の区別さえない。自分と他人の思考さえ隔てられていない。空気と同じ存在。本当の、自由の世界」

 

「……こんな希望も絶望もない世界が自由?」

 

「希望も絶望も無いのが自由なんだよ」

 

 自由――自分の姿形すらないのが?

 

 そんなものを自由と呼ぶのなら……。

 

 不自由とは何?

 

 アカリは目の前に、再びバルドルの姿が現れた。

 

「自分という存在を形作り、他人との境界を明確にするために不自由な肉体を手に入れた。自分と世界の姿を認識するために無数の色で彩られる。そして、足をつける大地もできた」

 

 アカリは自分の手をまじまじと見つめ、足を少し上げて地面をパンパンと蹴った。

 

「アカリは1つ自由を失い1つ不自由になった。でも、1つ安心を手に入れた」

 

 他人と自分の区別があることで得られる安心。足をつける大地があることで得られる安心。しかし、ピアノを続けてきたことで得られた安心があっただろうか?

 

 自由だからこそ不自由。

 

 不自由だからこそ自由。

 

 それを理解するには、アカリも“灯”も、あまりにも若すぎた。

 

「自分のやるべきことを他人に決めてもらうことほど楽なことはないんだ。“灯”は母親が決めた道を離れて、自分で道を選んだ。それは“灯”の成長の証しだし、大人に一歩近づいた証しなんだ。でも、自分の道を自分で決めて自分で歩こうとしたときに、周りが必ずしも好意的に肯定してくれるわけじゃない。妨害されることもある。否定されることも、批判されることもあるだろう。でも、自分で決めたからには、死に逃げるなんてことは許されないんだよ」

 

「私だって……死にたくないよ。消えたくないよ」

 

 悲鳴のように叫んだ言葉が、だんだんしぼんで、最後は消え入りそうな呻き声になった。

 

「でも、どんな顔してママに会えばいいの? ママは、ピアノが弾けない私なんて望んでいないんだよ? 望まれていない私に生きる価値があるの?」

 

「人間は誰かのために生きているんじゃない。自分自身のために生きているんだ。自分の価値は、自分自身で決めるんだ」

 

「私は……」

 

 

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