光の射すほうへ【2】


 このファントムから人間が身を守るにはただ光を持ち歩くしかない。松明でも、ランプでも。わずかな光があれば、ファントムは寄ってこない。しかし、その光が失われたら、どんなに鋭利な刃物を持っていようが、いかに勇猛果敢な戦士であろうが、人間はなす術もなく、ファントムの餌食とされてしまう。

 

 それが今、この世界の現実”だった。アカリも、他の人間たちも、その現実の中で、その冷酷なルールに則って、生きなければならない。 そんな世界を旅するアカリにとってバルドルの存在は、ただ足元を照らしてくれるというだけではなく、進むべき道を示してくれる存在ですらあった。

 

 旅の過程で手に入れた様々なものを、僅かばかりの食料や水と交換する。貨幣というシステムが姿を消して久しい。紙幣だろうが金貨だろうが、今、この時代には何の意味も持たない。必要なのは油であり、火種であり、身を守る手段に他ならない。 

 

 しかし、足下を照らす光の全てを火に頼るようになって、町はあまりに脆弱になってしまった。火は、少しでも扱いを間違えれば、あっという間に炎になり、全てを呑みこんでしまうからだ。 

 

 炎によって燃え尽き、ファントムによって殺しつくされた町を、アカリは何度となく見ていた。しかし、今この瞬間に、その光景が我が身に降りかかっていようとは思ってもみなかった。 

 

 それは、アカリが、瓶一本の油と交換に手に入れた食料を布の袋に入れて、背負った時だった。東の方――ちょうど風上から、焦げくさい匂いが漂ってきたのである……。

 

「燃えたぞ!」 

 

「早く来てくれ!」 

 

 木の焼ける匂いとともに、悲鳴にも似た声が流れてきた。アカリは迷った。匂いの漂ってくる方向は、バルドルを置いた町の端とは正反対の方向だった。しかも、風向きから考えて、自分自身が火災に巻き込まれることになりかねない。しかし、わずかに躊躇した末に、アカリは匂いの元へと駆けた。 

 

 アカリがその場に着いた時には、煌々と燃え盛る炎が、黒い煙を上げて高く上っていた。炎は、付近の建物に燃え移り、さらに火勢を増していく。 最悪の連鎖がすでに始まっていた。アカリは火元に来たことを激しく後悔した。

 

 町の人たちの砂や水をかけての決死の消火作業も虚しく、炎は衰えるということを知らないようだった。延焼を防ぐために周囲の建物を破壊しようと懸命の努力が続くが、炎はそんな努力をあざ笑うように次々と飛び移って被害を拡大させていく。 

 

「もうダメだ!」 

 

 誰かが叫んだ。 

 

「焼き尽くされる前に、火を取って逃げるんだ!」

 

「逃げるたってどこに!」 

 

「どこかにだ!」 

 

 怒声と罵声が入り混じる人ごみにアカリは背を向けて、その場を後にした。炎のせいで背中が熱い。残念ながら、この中にいる人のほとんどが、明日まで生きてはいまい。もっとも、朝も夜も季節すらなくなってしまった今となっては、昨日・今日・明日の概念さえ、あやふやなものになってしまっている。 

 

 明日という概念が失われた世界。しかし、人が死を恐れることに変わりはない。ファントムに触れられた“死”は普通の死とは異なり、魂の監獄に永遠に繋がれる。誰とも知れず言い始めたそんな話から来る恐怖も、人々に死への畏怖を倍加させた。 

 

 死に怯えて逃げ回り続けるくらいなら、いっそ死んでしまえばいい……。 

 

 いっそ死んでしまったら、追い続けられる恐怖を忘れて楽になれるのに……。 

 

 心の中ではそう思っている。それなのにアカリには死を選択する勇気はなかった。逃げる時に一本掴んだ松明を翳≪かざ≫しながら、アカリは走った。 

 

 町の外れ。バルドルを置いた場所に、ようやくたどり着く。幸い炎はまだ消えていなかった。ファントムの気配もまだない。

 

 しかし、ファントムがいない代わりにバルドルの姿もどこにも見当たらなかった。 

 

「バルドル!」 

 

 アカリは神獣の名を呼んだ。焦るなと、心の中で言い聞かせながら。アカリの声を聞きつけたバルドルは、闇の中からふっと姿を現すはず。親に甘える小鳥のような甘える声で、返事が返ってくるはず。

 

 しかし、普段ならあるはずの反応が、今回はなかった。

 

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