光の射すほうへ【19】


 

  ピアノと一緒に常にあったあの音。大嫌いだった音。けれど、今は、この音と共にあるだけで妙に安心する。

 

 その気持ちよさと安心感から、強烈な睡魔が襲いかかってくる。瞼が自然と落ちていくのが分かる。今度こそ、自分は消え去ってしまうのだろうか?

 

 眠たいよ……。

 

  眠っちゃってもいいのかな?

 

 いいんだったら……。

 

 眠っちゃおう……。

 

 

 

 ……本当に、それでいいのか?

 

 

 

 唐突にアカリの耳に入ってきたのは聞き覚えのない男の声。声を発した相手の姿は、目に見える範囲にはなかった。

 

「誰?」

 

 まどろみから引き戻されたことに少し不快感を覚えつつ、姿のない声だけの相手にアカリは問う。

 

「私は……君の光だ」

 

「私の光?」

 

 光という単語から、アカリはいつも一緒にいた神獣の姿を直感的に連想した。

 

「バルドルなの? どこにいるの?」

 

「私はいつだって、君の側にいるよ」

 

 優しい言葉が返ってきて、アカリは泣きそうになった。

 

「バルドル……ありがとう。でも、もういいんだよ。私は辛いんだ。苦しいんだ。もう、頑張れないよ」

 

「頑張らなくてもいいよ。でも、本当にもう、出来ることは残っていないのかい? 心残りはないのかい?」

 

「心残りがないはずがない! だけれども……」

 

 両目を力いっぱいつむって大きく首を左右に振った途端に、ジワリと目尻に涙が滲む。

 

 いつの間にか、すぐ真横に誰かが立っているような気配があった。アカリは、その気配に向かって話しかける。

 

「バルドル、そこにいるの?」

 

 その気配が頷いたようにも思えた。

 

「無責任だな、私は……。君に、もっと頑張れと言うことしかできない自分が無力で情けなくなってくるよ」

 

「バルドル?」

 

 気配が動いたような気がした。すると、今まで何もなかったはずの目前の空間に、中世騎士道物語に出てくるような、顔まですっぽり覆われた兜にプレートアーマーと呼ばれる板金で仕立てた煌びやかな全身鎧で身を固めた騎士姿の青年が現れた。顔が見えないので男女の区別はつかないが、アカリはここまで聞こえていた声のこともあって、男だと思った。

 

 騎士がおもむろに兜を外し顔があらわになると、その顔はやはり男性。日本人の顔立ちだった。その印象から年齢はアカリより年上の20歳前後。父親、親戚、同級生、先輩、知り合いの顔を思い出したが、該当する顔は思い当たらなかった。

 

「あなたは……バルドル? 私の中の希望?」

 

「ヘルは、自分ことを君の中にあった絶望だと言い、私の……バルドルのことを“灯”の中にあった希望だと言ったかもしれない。でも、それは間違っている」

 

「間違い? ヘルは嘘を言ったの?」

 

「嘘じゃない。……バルドルは“灯”がこれまで集めてきた希望なんだ」

 

「言っている意味が分からないよ……」

 

「絶望は、自分1人でいくらでも膨らませることができる。でも、希望は誰かから貰わなければいけないんだ。両親、友人たち、もちろん自分自身からも……バルドルは、君が集めてきた希望の欠片の集まりなんだよ」

 

 アカリは自分の両の掌をまじまじと見つめた。

 

 そういえば昔、この手に赤ちゃんを抱っこしたことがあった。あれは……叔母……母の妹が生まれたばかりの子供を連れてうちに遊びに来た時だ。人を疑うことを知らない無邪気な笑顔。誰からも無条件に愛されている……。自分が生まれた時もこうだったのだろうか……。絵日記の中で、生まれたばかりの自分が幸福だと感じたのは、きっとあの笑顔がどこか記憶の片隅にあったからなんだろう。

 

「アカリは知らなくて当然だけれど、事故に遭った“灯”は、意識を取り戻すことなく眠り続けている。アカリがこのまま、闇に飲み込まれたら、“灯”はもう、眠りから覚めることはない……。でも、アカリが目覚めるのを毎日待っている人がいる……“灯”のご両親だよ」

 

「……何を馬鹿な」

 

 声になっていない声を発した灯の唇が小刻みに震えた。

 

 

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