光の射すほうへ【14】


  アカリは、金庫の扉を開くために脇にどかした鏡に何気なく眼をやり――絵日記を持っていた手から力が抜け、アカリは思わず悲鳴を上げた。ばさっと絵日記が床に落ちた。

 

 鏡に映っている人間の顔が、ほかの2枚の絵に描かれている女の子の顔と同じだと、今になってようやく気づいた。

 

 目元が潤んできたのが分かり、天井を向いて涙をこらえようとしたが、つぅっと滴が頬を伝い、顎からこぼれ落ちた。少女の最後の姿が、自分の最初の記憶と重なる。

 

 光に包まれた少女の姿。

 

 光に包まれた自分自身の姿。

 

 この館でピアノを弾いた時に耳の中に蘇ってきた声も重なる。あの罵りの言葉に、どれほど苦しめられてきただろう。

 

 私は……どれだけ苦しめられてきただろう?

 

 私は……どれだけ……。

 

 アカリの全身から力が抜けた。がくっと、両膝を床につけてアカリはへたり込んだ。その時、床に落ちた絵日記の裏表紙にアカリの目が向いた。

 

 背表紙には絵日記の持ち主の名前が記されていた。

 

 一之瀬灯≪いちのせ あかり≫。

 

 そう……これが、私の本当の名前……。

 

*     *     *

 

 アカリは呆然としつつもアカリはバルドルの姿を探した。すぐ後ろにいるはずの……神獣の姿を。

 

 やはり、知るのではなかった。アカリは心の底から後悔していた。アカリがためらいがちにノックした記憶の扉は、恐る恐る覗きこんだアカリの前で強風に煽られたかのように乱暴に開け放たれた。結果、アカリの心は、あっという間に絶望で満たされた。希望などないままに。

 

 絶望に耐えられなくなった自分は、一度は死にすがりつき、今度はバルドルにすがり付こうとしている。愚かで滑稽だ……アカリは自嘲気味に笑う。

 

 アカリの視線がバルドルの姿を捉えるよりも早く……ぐらり、と館全体が大きく揺れた。

 

「バルドル!」

 

 へたり込んだままで、バルドルの名を呼ぶ。バルドルはさっきの場所からまったく動いていなかった。そのバルドルの両脇の本棚が、バルドルにめがけて倒れていく! 

 

 ドザザザザ――! 山崩れを思わせるような派手な音を立てて、大量の本がバルドルに降り注いだ。全ての本が落ち尽くすまでに時間にして数秒間の出来事のはずだったが、アカリの目には、それがコマ送りしたようにゆっくりに写った。あまりのことに一歩も動けず、腕一つ上げることができず、頭の中が真っ白になって眼前の惨状に何の感情も抱けないまま見つめ続けるしかなかった。

 

 最後まで本棚の淵に引っ掛かっていた赤い背表紙の本がパサリと軽い音を立てて本の山の上に落ちて、書庫の中に静寂が戻った瞬間、アカリの思考も正常な時間の流れを取り戻した。

 

 両端から倒れてきた本棚が、互いに支えあって人の字のような格好になったために本棚が直撃することは避けられていたものの、バルドルは本の山に埋もれてしまっていた。

 

「バルドル! バルドルバルドル!」

 

 アカリはよたよたと立ち上がると駆け寄った。うずたかく積み上がった本の山を左右に散らしながらバルドルの姿を探すものの、どかしてもどかしてもきりがない。しかしアカリは、両の腕があまりの重作業に悲鳴を上げはじめても、両目に涙を溜めて必死に薙ぎ払い続けた。

 

「バルドル……」

 

 全身を汗でぐっしょりにしながら無限に続くかと思えた本の山をどかす作業にも終わりが見えてきて、ようやく、床に敷き詰められた赤い絨毯が見えてきた。

 

 赤い……絨毯?

 

 ぜいぜいと荒い息を吐きながらアカリは叫んだ。

 

「どうしてよ! どうしてバルドルがここにいないのよ!」

 

 そこには、絨毯の赤い色しか見えず、そこにあるはずのバルドルの姿は影も形もなくなっていた。灰色の羽毛の一枚すら落ちていなかった。

 

「どうして……いないのよ」

 

 どうして……ともう一度繰り返すと、回答は彼女の真後ろから返された。

 

「バルドルは飲み込まれてしまったよ」

 

 

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