光の射すほうへ【10】


「ヘルは……この館の中に私が知りたいことや無くしてしまったものが全てあると言っていたわ。でも、ひょっとしたらそれは私にとって、思い出したくないほど辛いことや、あまりに苦しくて捨ててしまったものだったのかもしれないね……。それでも、私は、探さなければいけないのかな? 見つけなければいけないのかな?」

 

 アカリは、出来ることならずっと立ち止まっていたいと思い始めていた。たった今、もしかしたら自分は無くしてしまった物の一端に触れてしまったかもしれない。無くしたものがあるということは、それを何が何でも探し出さなければならないということと同じ意味ではないのではないだろうか? 見つけたらもっと苦しむ無くし物だって、きっとある。今自分は闇の中でもがいているが、世界が光に溢れていたからといって、それが幸福だったなどと、どうして言えるのか?

 

 ひょっとしたら闇の女王ヘルはそれを赦してくれるのかもしれない。仮に苦労の末にエリューズニルを脱出できたとしても、そこに広がるのは闇ばかり。再びファントムに怯え続ける日々が始まるだけ。

 

 あるいは……と、アカリは思う。バルドルも赦してくれるかもしれない。自分がこうやって立ち止まろうとしている時、バルドルは何も言わず、傍らでただ見守ってくれている。

 

「……」

 

 アカリは両手に力を入れて、バルドルの首から身体を離した。

 

「何を考えているんだろうね。私は! ファントムの親玉なんかに、頼ろうとするなんてさ。よっぽど、心が弱っているんだね……」

 

 そして、ぎゅっと握り拳を作って下を向いて、「大丈夫、大丈夫。やれる。やれる!」と何度も繰り返した。

 

*     *     *    

 

 2階を一通り巡ってみるけれど、結局それ以上にめぼしいものは見つからなかった。アカリは、再び一階へと通じる階段に立っていた。踊り場に飾られていたキャンバスの中には、やはり闇の女王ヘルの姿はない。

 

 アカリは階段に腰掛けて、小さくため息をついた。

 

「……疲れたなぁ」

 

 ずっと歩きっぱなしだったけれど、ヘルと会ってから緊張感と焦燥感とで疲れを意識する余裕がなくなっていた。疲れを口にしてしまうと、忘れていた空腹や喉の渇きも意識するようになってくる。すると、さっきのダイニングが思い出されてきた。アカリが腰かけている階段を下りて右側の扉を開けばダイニングだ。

 

 食べ物の並んでいないテーブルに用はないので階段を下りて左側の扉を開けることにした。

 

「紅茶……とまで高望みはしないけれど、とにかく喉を潤したいわね。さっきから緊張しっぱなしで、喉がからからだよ」

 

 バルドルに向かって軽口をたたいてから、心の中にチクリと棘≪とげ≫が刺さったような気分になった。何かが、気になる。

 

「ねぇ、バルドル。私って、普段何を飲んで、何を食べていたんだっけ?」

 

 人は簡単にいろんなものを忘れてしまうものだと言われればそれまでかもしれない。確かに人間は昨日の夕食だって、なかなか思い出せないものだろう。けれど、アカリが口にした疑問は夕食の中身を思い出せないというのとは違う。……一体、何を口にしているのか、どうにも思い出せないのだ。

 

 大して深い意味なく口にした疑問によって、自分の足元の世界が崩れて行く……そんな錯覚を覚えた。

 

「そんなことを気にする必要はないよね。あるものを食べて、あるものを飲んでいただけのはずだよ」

 

 アカリは、自分の胸に湧き上がってきた得体のしれない不安感を振り払うために明るい口調で言って、腰かけていた階段から立ち上がった。

 

*     *     *

 

 扉を開けた瞬間、アカリは戸惑い、思わず扉を閉めそうになった。その部屋の中にも赤い絨毯が敷き詰められていた。困惑してしまったのは、まるで巨人に一斉に見下ろされているかのように感じたからだ。

 

 その部屋は、アカリが入ったどの部屋よりも広かった。ピアノが置かれていた部屋よりも、ダイニングよりも、最初にアカリが閉じ込められていた石造りの広間よりも。

 

 

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