満ち足りない生活【5(最終)】


 はっ! と私は暗闇の中で目を覚ますと、そこはベッドの上だった。薄く照らされたライトが何とか部屋の中の様子を教えてくれる。

 

  そこは、間違いなく私の寝室だった。寝室に置かれた家具も、薄暗いオレンジ色のライトも、寝る前に雑用ロボットがぴんと張ったベッドのシーツも、全てが私の物だった。

 

 私は仰向けになったままで両手をまじまじと見つめ、両手の子指から親指まで、順番に一本ずつ折っていき、握り拳を作ると、ギュッと力を込めて握り込んだ。その時、掌から感じられたささやかな痛みが、自分が生きていることの証明だった。私は、今度は拳を握ったり開いたりを何度か繰り返した。

 

「夢か……」

 

 それにしてはリアルだったと思う。銃弾が撃ち込まれたときは、本当に熱さや痛みを感じたように錯覚したものだった。

 

 私はおもむろに額につけたバンドに手を触れた。これは、私の生体データを採取し、健康管理をするためのものである。このデータは、全てマザーが管理するスーパーコンピューターに送られ、マザーは国民の健康情報に至るまでを管理している。

 

 私はその時、ようやく自分が酷い寝汗をかいていることや、喉がからからになっていることに気付いた。水でも飲もうと、額のバンドを外して部屋を出て台所へと向かったとき、聞きなれた駆動音が聞こえてきた。私が起きだしたことに気付いた雑用ロボットが近付いて来たのだ。

 

「ミネラルウォーターに氷を浮かべて持ってきてくれ」

 

 と頼むと、私はリビングのソファに腰掛けた。一旦目が覚めると、もう眠れそうにはない。映画でも見ようかと、電源が入っていないディスプレイに目を向けたところで、雑用ロボットがマニピュレータで掴んだ盆をもってやってきた。その上には、透明なグラスが乗っていて、表面には水滴がびっしりと張り付いていた。

 

 私は、コップを受け取り飲み干すと、どこまでが夢だったのだろうか? と考えた。

 

 その時、ふと件の知人が昔言っていたこと思い出した。マザーがヘッドバンドを通じて夢を操り、我々に警告を発することがある、という話だったが、その時の私はよくある都市伝説の一つとさほど気にも留めなかった。しかし、それは事実であったのかもしれない。

 

 夢の中でロボットの兵士たちの語っていた言葉を思い出した。あれは、マザーからのメッセージだったのだろう。

 

 曰く、人間はなぜ与えられるだけで満足できないのか……。

 

 曰く、人間の天井知らずの向上心や権利意識は、世界を破滅させるというのに……。

 

 確かに、人間の歴史を紐解けば、マザーの言い分ももっともと言えるのかもしれない。特にこの200年弱の間に、自然環境は壊滅的な打撃を受けた。その原因が、人間のあくなき欲望の拡大にあったと言われれば、返す言葉もない。

 

 今のマザーを頂点としたシステムでは、マザーの政策に唯々諾々と従っておけば我々は平穏かつ安定な生活を享受することはできる。そして、我々は、世界に対して責任を負う必要もない。

 

 そう……甘受していればいいのだ。

 

 もはや私は――いや、私たちはマザーが作り上げた箱庭のような社会と、狭量な価値観の中でしか生きていけないのかもしれない。その枠から抜け出そうとした人間は、異物として排除される運命なのかもしれない。

 

 そもそも、社会の中が自分にとっていくら都合が悪くとも、自分にとって都合よく変えようなどと考えることの方が、実は傲慢で危険なことなのかもしれない。あるいは、そのように考えること、それ自体がすでにマザーに飼いならされた証拠なのかもしれない。人間はロボットを働かせて、自らを縛るあらゆるものから解き放たれたように見えながら、その実すでにマザーをはじめとしたロボットに支配されているのかもしれない。

 

 私は、コップに注がれたミネラルウォーターをぐいぐいと飲みほした。冷たい水が食道を通って胃袋へと入っていく様子を感じながら、これ以上、こんなことを考えるのはやめようと考えた。少なくとも私には、今の生活を捨てる覚悟はできなかった。

 

 それでも……。

 

 私は、コップをテーブルの上に置いた。コップの中の氷が、からんっと澄んだ音を立てた。雑用ロボットに片付けるように指示を出す。

 

 それでも、明日は早くに起きてコロの家を作ってやろうと思った。今度はちゃんと天気予報を確かめ、合羽を用意して。

 

《fin》

 

 

 

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