ナンバー【3】


 

「症状を聞く限り、急性心不全の可能性があります。その時は、仰向けにするのは却ってよくないんですよ」

 

 車掌は言いながら、腕に力を入れた。沢見もそれにならって、力を込める。

 

 2人で力を合わせて、男性を座席に座らせた。

 

 男性の手に触れると、体温がどんどんと失われているのに気がついた。

 

「とにかく温かくして……」

 

 車掌は呟くと、立ち上がって、車両で様子をうかがっている人たちに、「体を温めないといけません。タオルなど、ございましたら供出願います」と、あくまでも丁寧に、しかし切迫した様子が伝わるような大声で、声をかけた。

 

 それを聞いた乗客は、急ぎ荷物の中を探し始めた。

 

 車掌と、沢見が上着を脱いで、男性にかける。

 

「……毛布があったかも。その前に、次の駅に救急車を手配しておかなければ……」

 

 車掌は立ち上がり、 

 

「出来れば、付いていてあげていただけませんか?」

 

 と沢見に言った。沢見はこの時初めて、面長の車掌の顔を正面から見た。自分と同じくらいの歳だろうか。それなりに、緊張しているはずだが、その表情はあくまでも柔和で、冷静な男のそれだった。

 

 沢見は、小さく頷いて、車掌の言葉に応じた。

 

 車掌は駆け足で、2両目に駆けこんでいった。

 

 ふと、座席に座った男性の顔を覗き込んだ。彼の額にも、数字が浮かんでいる。無我夢中で今まで、全く気付かなかったが、その数字は“56”だった。

 

*     *     *

 

 沢見は、自分が今まで座っていた座席に座ると、ふうと息をついた。乗り込む人間も、降りる人間もいない、田舎のひっそりとした無人駅だ。男性を救急隊員に引き渡し、列車は、男性と奥さんを下ろして、何事もなかったかのように走りだした。

 

 結論を言えば、あの男性は助からなかった。

 

 呼吸が止まったのは、次の駅にもうすぐ到着するという頃だった。

 

 車掌が急ぎ救命措置を施したものの、心肺停止のままで、救急隊員に引き渡された。列車は、重病の患者と、その夫人を下ろして、定刻を10分間ほど遅れて、発車した。

 

 沢見が気にかかったのは、患者のことだった。

 

 あの中年男性の額に写っていた番号が、症状が悪化するにつれて、だんだんと薄くなっていき、やがて消えてしまったのだ。それは、30年以上生きてきた沢見が、初めて見た光景だった。

 

 しかし、番号がない人間をテレビなど以外で見たことは2回ほどあった。母方の祖母が亡くなった時と、父方の叔父が亡くなった時だ。

 両名の遺体と対面した時も、あの番号はなかった。ということは、あの番号は死ねば消えてしまうということになる。

 そしてもう1つ、気になることが……。

 中年男性の夫人は、彼の年齢を56歳だと言った。そして、彼の額に写った番号も同じ56である。

 

 沢見は、自分の胸の中に、非常に恐ろしい考えが浮かんできたのに気づいた。

 

 これは、本当にただの偶然だろうか……?

 

 その時、列車がトンネルに入った。真っ暗なトンネルの中を、列車が駆け抜けていく音が、車両の中にも不気味に響いた。そして、窓ガラスには、鏡に写したようにくっきりと、疲れた30代半ば男の表情が映し出されていた。その額に浮き出た数字は“36”。

 

 トンネルを抜け出すと、再び窓ガラスが雨粒で覆われた。先ほどまでよりも、少し雨の勢いは衰えたようにも感じるが、それでも土砂降りに違いはない。

 

「切符の拝見をいたします。ご協力をお願いします」

 

 車両に響く、きびきびした声が響いたのは、トンネルを抜けた直後だった。さっきの車掌が、切符の点検を宣言すると、1人ずつ乗客に声をかける。

 

「先ほどは助かりました。どうもありがとうございました」

 

 沢見のところに回ってきた車掌が、そう声をかけてきた。

 

「いえ……結局、助からなかったですし」

 

「それは、結果ですよ」

 

 沢見は車掌から切符を受け取ると胸ポケットに入れた。車掌の口調は慰めが含まれているように感じたが、それは車掌が自分自身に言っているのではないかと、沢見は思った。

 

 次に進もうとした車掌を、沢見が呼び止めた。

 

「つかぬことを伺いますが……あなたは、38歳ですか?」

 

「ええ……」

 

 車掌は一瞬戸惑った表情を見せたが、すぐににっこり笑って、

 

「でも、あと3日で、39歳になるんですよ」

 

 

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