かけひき【5(最終)】


 袖の中に右手を潜り込ませた遠山は、

 

「――とくと拝ましてやらぁ!」

 

 バサッと片肌をはだけると、遠山の右肩から二の腕にかけてがあらわになった。そこには見覚えのある――見忘れるはずのない桜吹雪の彫り物があった。

 

 負けた……。

 

 この奉行は、自分を捕らえるために全てを投げうつ覚悟で挑んできていた。保身など考えもせず。その覚悟を見破れなかった自分の負けだ。

 

 そう思った八十助は唇を噛み、天を見上げた。天を仰いだところで、お白州が開かれている広間の高い天井が見えるばかりである。しばらくは空を見ることはできないだろう。次に、牢屋を出るときは、磔《はりつけ》になるときだろうか。

 

「……参りましてございます」

 

 八十助は両手をついて頭を下げる。涙が溢れてくる。自分はこの男に負けた。完敗だ。しかし不思議と悔しさはなかった。

 

 そんな八十助に、着物を直し、桜吹雪の刺青をしまい終えた遠山が声をかけた。その顔は、さっきまでの厳しい奉行のものでも、穏やかなお奉行様のものでもない、“遊び人の金さん”の顔だった。

 

「なぁ、八十助。俺は、お前と押し込みの計画を練るのはなかなかに面白かったぜ」

 

「……御冗談を」

 

「いやいや……。お前さんが、悪党ではない方に才覚を生かしていれば、もっと楽しく暮らせただろうにと、もったいなく思ったもんだ。裏で何をしようが、黒駒屋をあそこまで大きくしたのは、おめえの力だ」

 

「あっしは……」

 

 八十助は小さく苦笑する。

 

「幼い頃から貧しい暮らしを送っておりました。病弱な母を持ち、父親は酒浸り。幼い頃から、泥をすすり、残飯をあさり、金の為なら何でもしながら、その日その日を必死に生きてきたのでございます。あっしは、そんな生活から抜け出すために、金が欲しかった……。金を手に入れるために家を出て盗賊たちの仲間となりました。十一の時です。それからは汚いことに手を染め続けました。人を殺したこともございます。世の中には、まっとうと言える金の手に入れ方があることを知ったときには、もう足を洗うことなどできなくなっておりました。……もしも、己の過ちに気付いた時に過ちを正す道があったならば……」

 

「そうかもしれぬな」

 

 遠山の口調には、わずかばかりの同情が含まれているように感じた。

 

「俺も、堅物の養父の説教に嫌気がさして、若い頃に家出をしたことがある。博徒たちの友人ができたのも、刺青を彫ったのもその頃だ。そんな、その日さえ楽しければいいという生活が虚しいものだと気付くのにさして時間はかからなかった。そして、市井の者たちの暮らしに触れて、俺は自分の為すべきことを悟り、遠山の家に戻ったのだ。俺には、過ちに気付いた時に戻るべき家があった。旗本という立場もあった。俺とお前の違いはそれだけで、実際には俺たちの間には大した差はないのかもしれん……」

 

 そう己の過去について語った遠山は、

 

「本日の白洲はここまでとする。お前たちには、過去の悪行を話してもらわねばならぬ故、裁定を下すのは後日といたす。引っ立てい!」

 

 八十助をはじめとする黒火車の一団は、役人たちに立ち上がらされ牢屋へと再び連れていかれる。お白州を出ようとした八十助の耳に、遠山の声が聞こえた。

 

「お互いに、認めたくはないものだな。若さ故の過ちというものは……」

 

 思えばこの白州において、最後まで遠山は八十助に同情を向けていたのかもしれない。あるいは安宅の関で義経を打ち据えた弁慶は、遠山の方だったのかもしれない。

 

*     *     *

 

 それから八十助は憑き物が落ちたように、これまでの悪行の数々を全て告白した。二十五年前に黒駒屋を乗っ取った手段についてもである。全ての調べが終わった後、遠山は八十助に磔を、仲間の七人に終生の遠島を申し渡した。

 

 春を迎えることなく八十助の刑が執行され、八十助がこの世を去ってから間もなく、遠山影元もまた、北町奉行所を去った。表向きは大目付への栄転であったが、大名を監視する大目付の職は、この頃には名誉職と化していたため閑職に回されたというのが実際に近かった。

 

 老中・水野忠邦と対立した結果ではあったが、この決定に、お白州の場で遠山が見せた桜吹雪の刺青が関わっていた事実については史料に残されず、歴史の影に消えたのであった。

 

 

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