うつつよこそ夢まぼろし【2】


 血まみれの奥方様――実は、わたくしはその女の幽霊を見ておりませんので、本当に奥方様であったのか分かりかねますが、寅丸様がそうおっしゃいますのでやはり奥方様だったのでございましょう。奥方様は、家臣の前にも姿を見せるようになり、ついには秀方様の前にも現れたのでございます。秀方様は半狂乱になり、時にはお刀を抜いて振り回すこともあったと聞いておりますので、怪我人が出なくて何よりでございました。しかし、秀方様は、とうとう床に伏せるようになっておしまいになられたのでございます。

 

 側用人様は、悪評が経たぬようにと、奉公人全員に固く口止めをした上で、奉公人全員にいくばくかの金子とともにお暇を出されたのでございます。

 

 親元へと返されたわたくしは、かねてより祝言の約束をしていたかんざし職人の善吉さんの元へと嫁ぎ、吉太という息子にも恵まれ、幸福に暮らしてございますが、目の前のお武家さまはわたくしの話には興味はなかろうと思い、口を閉ざしました。

 

「これが、私が知っております全てでございます」

 

 わたくしは、一息に話し切りますと、両手をついて頭を下げました。

 

「ところでそなたは……」

 

 と、何事か言おうとなされましたお武家さまを、和尚様がお止になられました。

 

「長い話で、咲どのも少々お疲れのご様子。お話の続きはまた後日ということに」

 

 疲れていたのは正直なところそのとおりでございましたので、この提案には安堵いたしました。しかし、目の前のお武家さまが、一体何をお聞きになられたいのか、出来ることならばここで聞いておきたい気持ちもありました。再びお呼び出しをされても、これ以上応えられることはございません。

 

 お武家さまは、いかにもまだ足らぬといった感じの顔色をされておりました。心底七里様をお救いになりたいとお思いなのだと思い、わたくしは胸が熱くなったのでございます。

 

 お武家さまは、

 

「では、また後日、日を改めてお話を伺いたい」

 

 と申されました。同意を求めるというよりは、その声には強制する強い響きが籠もっておりました。わたくしといたしましては、再びお会いしても実のあることはお話できないと考えました。

 

 とはいえ、何といっても御恩のある七里様の話ですので、また話を聞きたいと云われれば、お断りすることもできず、ではまた数日後に、とお約束したうえで、その日は散会となったのでございます。

 

 

*     *     *

 

 

 次に、そのお武家様とお会いしたのは三日後のことでございました。場所は同じ仏堂で、今回も前回同様に和尚様もご一緒でございました。相変わらず香が焚き詰められており、特有の匂いと煙がやはり充満しておりました。和尚様には申し訳ございませんが、わたくしはどうもこの匂いを好きになることは出来そうにありませんでした。

 

 今日はなぜか、顔を頭巾で隠した子供も一緒でございました。体格から考えるに、年は十にも満たぬくらいでしょうか。身なりはとても立派で、よほどの家の子供だろうと感じました。

 

「最初に聞いておきたいことがあるのだが……七里秀方には少々悪い噂があったのを存じて居るか?」

 

 お武家さまは、その子供の素性を私には微塵も明かすことなく、質問を始められました。わたくしは、そのことを気にせずに、出来るだけ七里の御屋敷にご迷惑をかけぬようにと思いながら慎重に言葉を選びながら話しました。

 

「確かに、秀方様は、少々女癖が悪いところがございました。それがきっかけで、奥方様と喧嘩になったことも何度もございます。いえ、奉公人に手を付けるなどということは一切ございませんでした。ごく稀に、町人の娘と関係を持ったという話もございましたし、側用人様を始めご家臣の方々が奔走してもみ消したという噂も耳には入ってまいりましたが、関係を持ったほとんどが商売女とで深い仲ではなかったようでございます。

 

 もっともこれは、必ずしも、秀方様一人が責められるべき話ではないように思います。なぜならば、隠居をして秀方様に家督をお譲りになったとはいえ、堅物で知られたご隠居の秀武様はご家中では隠然とした力を持っておいでになられ、秀方様の御役目にも、なんやかんやと口を出しておいでになられました

 

 

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